hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

戦う意味とは?

回答数回答 1
有り難し有り難し 20

先日、NHKで『戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜』という番組が放映されていました。
日中戦争、太平洋戦争の戦時下の動員に仏教自らも(当番組では対象を同派としていましたが、国民総動員法の元ですので宗派に関係はないと思います)戦争に加担してしまった、その実態を取材した内容でした。
77年前のはいえ、生々しい出来事の記憶です。

一方、日本史という仏教が伝来し、今日に至るまでの長い目で見たとき、お坊さんはある時、僧「兵」でもありました。また、信仰のため、民衆のため、中々アグレッシブな姿になる事もあったと思います。

私は、仏教については高校の教科書程度の知識しか持っていませんが、印象としては「穏やかな宗教」といったものです。
例えば、キリスト教やイスラームには「聖戦」という教義がありますよね。
では、仏教ないし仏教徒が「戦う」とき、戦いを「是」とする考え方はあるのでしょうか?

もちろん、それぞれの事象の背景には「そうなる経緯」があります。ですので、一概には言えないと思いますが、こんな考え方、こんな教義があるというものがあれば、宗派関係なくご教示願いたいです。

あと、これは愚痴?ですが、いつも戦時下の鉄の供出にはがっかりします…お寺さんの鐘もさぞかし由緒があったろうに…。

お忙しい中とは思いますが、ご回答をよろしくお願い致します。

2022年8月23日 1:14

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

道具は使い方次第

日本の仏教は在家仏教と言える状況であり、戒律を守ることにこだわらない傾向があります。
たとえば、お釈迦様は不殺生を説き、たとえ誰かに身体をノコギリで切られても相手に怒ってはいけないと説かれました。
しかし、日本の仏教ではそこまで不殺生や慈悲を徹底できていません。
徳川家康なんか南無阿弥陀仏と書いた旗を掲げながら戦をしたそうです。
念仏すれば悪人でも極楽浄土に往生できるという教えは、死の恐怖を軽減し、戦いに必要な勇気を与えてくれるでしょう。
つまり、仏教という道具の都合の良い機能だけを、世俗(在家社会)で利用することが可能なのです。
また、スリランカ・タイ・ミャンマーなど敬虔な仏教徒が多い国でも軍隊はありますし戦いは無くなりません。
人間に欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があるかぎり、戦いは無くならないのかもしれません。
戦いの場面でも、悩み苦しみストレスを減らす仏教のテクニックは利用可能なので、都合良く使われる可能性はあります。
仮に、日本に他国が攻めてきたら、国民世論は戦うことを選ぶでしょう。(敵に土地や財産を明け渡しておとなしく侵略されます、とはならないでしょう。)
だから、現代の仏教寺院にも、やはり戦争を止める力は無いでしょうね。
人間の煩悩(自分の生命と財産への執着)は、それほど強力なのです。
お寺の鐘も煩悩のためには、武器の材料にされてしまいます。
それでも、平時において、お釈迦様の教え(不殺生や慈悲など)を説き続けることは無意味ではないと思います。

2022年8月23日 5:39
{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。
返信が遅れ、失礼致しました。

仏教を「道具」と表現されたのは、少々驚きました。これは、私が勝手に「神聖なイメージ」を仏教に持っていたからですけれども…(「仏」ですけれど)。
ですが、確かに言われてみればそうなのかもしれませんね。教えは未来永劫不変でしょうが、その解釈は様々ですものね。
戦う勇気を与え、心身の傷を癒す。
平時には殺生をよくないと分かっていながら、戦時にはその正当性を説く人の心の不思議さ。「煩悩」の一言で私はまだ理解ができそうにありません。
また、質問させてくださいね。

「事件・犯罪・災害・戦争」問答一覧

犯罪は運命的なもの?

犯罪は全て世の中のバランスにより生み出されたものではないのかと思います。 世の中の真理で、善と悪のバランスがうまく保たれてるから平和なのではないのかと考えるようになりました。 善か悪どちらに強く傾いてしまえば極端な話、人類は滅亡してしまうのではないかと思います。 世の中でなくともバランスはどこにでも存在すると私は考えます。 それこそ、宇宙そのものも、何かがバランスよく存在してるから、そこに在るんだと思います。 何が言いたいのかというと犯罪が全くない世界は人間として生活する上で何かが欠けてしまうのではないかと思うのです。 そんな世界は未来永劫来ないと思いますがね。 さて、相談の題名にある犯罪は運命的なものではないのかという質問ですが、犯罪者は自然の摂理、つまり自然災害と同じではないかと私は思ってしまいます。 冒頭にも書いた様に、世の中は、宇宙はバランスで成り立っています。 善と悪もその一つです。 そんな中、善ばかりが増えるのは一見良い事の様に思えますが、そうではないと私は考えます。 これもさっき説明したので省きますが、犯罪は自然が生み出したものの一つだと仮定すると大量に人を殺してしまって死刑判決をされた人はその為に生まれてきたのか?と疑問が生まれます。 こんな不条理があるかと思うと怒りを覚えます。 よく、世間から批判が殺到する「死刑になりたくて殺しました」が動機の事件がありますが、あれも自然が生み出した悪人かと思うと非常に可哀想だなと思います。 それから、犯罪者は人権を奪って動物実験などさせたら良いとかいった意見もありますが、私はこれから先の未来、犯罪者になる可能性も0ではないと思ってる為、心が痛いです。(勿論、現段階で犯罪をしようとは微塵も思ってませんがね。) 以上を述べた上で是非お坊さんにお聞きしたいのですが、犯罪は突き詰めていけば運命的なものではないのか?という質問、難しいと思いますが真剣に考えてお答えして頂ければと思います。 だいぶ文章が下手くそですが、全文読んでしっかり回答して頂ければ幸いです。 ※尚、私は決して犯罪は良い事であるという事は言ってません。犯罪は許せない行為です。あくまでこういう考え方もあるよねという視点を変えただけなので、そこの所よろしくお願いします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

ウクライナやガザの現状が辛くて楽しめない

初めて書き込みさせていただきます。 ウクライナの侵攻が起きて以来、ネットで残虐な記事を見るたび心にダメージを受け、かと言ってそれらのニュースを見ないことは現実から目を背けることになると、遠くの国の出来事とは思わないようにしてきました。どんどん心が蝕まれ、記事を読んでは兵士や市民の無事を祈り、惨状に涙し、不眠症が悪化してしまいました。 戦争が続き、コロナが起き、そんな中でも飲み会を開き、賑やかに過ごす学生時代の同級生たちに対して軽蔑と拒否の気持ちから、一切の付き合いを断ちました。 今はイスラエルで、何の罪もない人たちが亡くなっているのです。会社ではムードメーカーを演じていますが、私はもう何をしても楽しめなくなってしまいました。LINEは全て無視していたら、誰からもこなくなりました。鬱陶しかったと初めて気づきました。 精神科に通い始め、眠れる薬をもらって眠れるようになりました。でも心の中は何の変化もありません。 誰とも会いたくないのです。こんな暗い自分を見られたくもないのです。 少しですが募金をしたり、署名に参加したり、一人で常に深い悲しみの中にいます。 夫と子どもが発達障害のため、家族に理解を求めることはできません。 これからどうやって生きていけば良いのかわかりません。この先楽しいことがあるとは思えないのです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

戦争が怖い 不安

こんばんは。 先日第二子が産まれたため、マタニティブルーになっている自覚もありますが、どうしても不安が拭えないため、こちらで相談させて下さい。 未来に対しての漠然とした不安感がとにかく強いです。 主に戦争についてです。 幼い時に親から「戦争について学ぶことは大切!」と、戦争体験の絵本などを読まされてきました。 小さい頃の私はとにかくそれが恐ろしく、いつか自分が体験するのではと思い込んでいました。親には言えず、毎日隠れて泣いていました。 その体験を20年以上経った今も引きずっており、「戦争で大切な人を亡くす未来」がとにかく怖いのです。 昨年のウクライナ侵攻からそのようなニュースが増え、目にも入るようになってきました。 意識してニュース断ちをしていましたが、産後家から出られない時期にはついテレビを見てしまい、ニュースが目に入り、関連ニュースをネットで調べ、不安になる…という悪循環の毎日。 どうしてこうなってしまったのでしょう。 毎日不安で眠れないのです。 どのように考え方を変えれば、心穏やかに、子どもに向き合える母親になれるのでしょうか?今の自分の心があまりにもざわついていて、辛いです。 乱文失礼しました。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

神風特攻隊を崇拝する父親

つぶやきにも書きましたが…。 父親が神風特攻隊を崇拝しており困っています。 国のために戦った英雄と言って心酔しているようです。 私は、「彼らは戦争の犠牲者でその家族も友人も親戚も被害者なんだよ。戦争は悲惨で残酷だからもうこんなことしてはいけないというメッセージを残しているんだよ」 と言っても 「そんなこと北朝鮮は聞き入れないだろう。俺は命令されたら志願して北朝鮮に爆弾抱えて突っ込む」などと危険な思想を持っています。 今度知覧に行くそうで、そこでまた崇拝に拍車がかかると思います。 平和な世界のためにどうするべきか、という今の現状を受け入れず、なぜか戦争戦争としつこく言い テレビも戦争のドキュメンタリーばかり見てスマホで軍歌を流したり、かなり偏った思想で怖いです。 私は戦争で亡くなられた方、被害に合われた方に寄り添う気持ちは勿論ありますが、 私と父親とでは捉え方が違うようです。 個々の考えといえばそうなのかもしれませんが、外食先でも大声で戦争、特攻隊、と言い始めてその場を離れたかったです。 口ごたえすると激怒し、自分が正しいと思いこんでいるので母も何も言えません。 もう父親の口から戦争の話や特攻隊話を聞きたくありません。 遊びに来た姪っ子も「戦争のテレビばかり嫌だ」と言っても聞く耳持たずです。 色んな考えを持つ人がいるのは分かっていますが、まさか家族がこうなるとは思いませんでした。助けてください。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

夫が逮捕されました。

普段、仏教や宗教などとは縁遠く生活しているため、不躾、不遜な言い回しがありましたらご無礼をお許しください。 タイトルにもあります通り、先日夫が逮捕されました。罪状は強制わいせつです。相当にお酒に酔っ払った際に見知らぬ女性に抱きつきお尻を触ったそうです。 被害者の方は恐らく夫に遭遇後そのまま警察署か交番へ行き、道端でいきなり押し倒され臀部を弄られたと通報したそうです。 双方の言い分が乖離していますが、夫は逮捕後の勾留は免れ、現在は実家に身を寄せており私とは別に生活しています。現在も在宅捜査は続いている状況です。 私の夫は自身で物事をきちんと考えるということをあまりしたことがなく、今の状況でも具体的に何が悪かったのか、これからどう償っていくのかを具体的に考えられないようです。 私は幼い頃より両親から深く愛されながらもその辺りは厳しく育てられたので、モラルを逸脱することはあり得ないですし、万が一自身が何か人様に迷惑をかけるようなことがあればきちんと自分のしなければいけない償いを考えられると思います。 夫は金輪際お酒をやめると言っています。また仕事もやめ、交友関係もリセットすると言っています。今回の事件では弁護士さんに入っていただいており、被害者の方とは示談の話も出ています。 しかし、私としては夫が本当に心を入れ替え真っ当に生きていくことができるのか、これ以上私を含めまわりに迷惑をかけないことが可能なのかを非常に疑問に思っています。 逮捕されてから気が動転しパニックになっているのを考慮しても夫はまだまだ今までの甘い考えから抜け出られていない気がしています。 夫はお酒を飲まなければ、罪を犯すような人ではなく、普段はお調子者ながらも真面目な一般市民です。ただ育ってきた環境の違いからか、私とは意見がぶつかることも多いです。今まで述べているように甘い考えが露呈している場面も多く見てきました。 私は夫とこれからも共に生きていけるでしょうか。夫とは縁を切ったほうが良いと思う反面、ここで別れてしまったら夫は甘い考えのまま生きていきまた人様に迷惑をかけるだろうなと思います。離婚していれば、夫の行いなどわたしには関係のないことと頭では理解していますが、夫がそのまま生きていくのも許せません。私はどうすれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ