勝手に産んだ親が憎い
いつもありがとうございます。この年齢でまだこんな事を言うのは恥ずかしいかも知れませんが、恥を承知で質問させてください。
私は昔から希死念慮がすごく強かったです。両親は子供を慮る人ではありませんでした。その代わり親としての義務は果たしてくれました。
私は親に認められようと思う反面、本当の自分を親には秘密にしています。風俗で働いた金を親に渡していたことも言ってません。
親は私に興味無いのでこの先言うこともありません。
ただ、私には色々欠乏しています。本を読んで精神治療をしても考え方が変わりません。生まれてきたくなかったなぁと。
理想と現実が食い違ってる事が原因なのでしょう。過去の因果に足を引っ張られていることもあります。トラウマもあります。自分が選んだことでこうなったのも重々承知ですが、もし産まれなかったら努力しなくても良かったのに、傷ついたり苦しんだりすることもなかったのにと堂々巡りな答えに行き着きます。
ちなみに親と離れて暮らしてますが、精神的に私は自立できません。親のせいだって思ったら余計苦しいのに、結局産んでおきながらいつまでも温もりをくれない親に苛立ち、心は常に孤独にさまよってます。
私に温もりや安寧が訪れることはないのだろうと思います。今好きなことやってお金を稼ぐ努力をしてます。でも、虚しいです。私が成功しても喜んでくれる人はいないのに、私は何してるのだろうと虚しいです。常に何をしてても誰といても虚しいです。
この憎しみを晴らすにはどうしたらいいですか。
楽になりたいです。病院や他人に相談は出来ますが、お坊さんの答えを教えて欲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
歴史的存在~自分が思うより広く深い私
ご相談拝読しました。苦しく切ない胸の内をお聞かせ頂きました。
親が憎いというのは、親に愛されたかったという気持ちの裏返し、生まれたくなかったというのは、生まれたことを喜べる私になりたいという気持ちの裏返しのように感じました。
それは
>理想と現実が食い違ってる事が原因なのでしょう。過去の因果に足を引っ張られていることもあります。トラウマもあります。自分が選んだことでこうなったのも重々承知ですが
という自己分析に端的に表れています。乃行さんは聡明な方だと思います。
>自分が選んだことでこうなった
と言っても、私は乃行さんが悪いとは思いません。私たちは必ず親の、そして過去の影響を受けます。私が生まれるその前から、既に私の歴史は始まっているのです。その私は思うようにならない私ではありますが、私が思うよりもずっと広く深い私です。
本当はそういう広く深い私である自分を、嫌なことも納得できないことも含めてまるごと受け止めたいという気持ちが乃行さんにはあるのだと思います。
そのための象徴的な課題が親との関係なのでしょう。乃行さんの親御さんがどのような方なのか私にはわかりませんが、もしかすると乃行さんのことを愛しておりながらもきちんとした愛し方をできない方なのかもしれません。
親もやはり親が生まれる前からの歴史を背負った存在です。乃行さんと同じように、親もまたどうにもならない自分を抱えた存在なのです。
親と子という関係を超えて、お互いに思うようにならない一人の人間同士として出会い直せたならば、親への納得できない不満は変わらずとも、それでもどこかでその気持ちを昇華できる面が出てくるかもしれません。
親でなくとも、乃行さんの成功を、乃行さんの努力を、乃行さんの存在を喜べる人と出会えることを願います。そして乃行さん自身も誰かにとってのそういう存在となることを。
それでもなお、親にそういう存在でいて欲しかったという自分の気持ちは捨てないでいいと思います。それが本音なのですから。
苦楽を超えて自分の気持ちを認められたなら、そのとき親への憎しみは乃行さんの思いを超えた形で果たされるかもしれません。けして簡単ではないと思います。
どうかまたお話をお聞かせください。
頭で考える概念は幻
私達が頭で考える概念には実体がありません。
「自分」とか「親」も記号・ラベルにすぎない。
私達の細胞は新陳代謝で入れ替わっており、あなたを産んだときの親や、生まれた赤ちゃんを構成していた細胞はすでに地球のどこかを彷徨う別の物体になっています。
記憶データや概念の記号により、過去の自分や過去の親と同一人物が今もいると、錯覚しているだけ。
本当は、瞬間瞬間ごとに新しいあなた、新しい親。
だから、初対面の人に対するようにフラットな気持ちで自分や親に普通に接してみましょう。
たとえば、昔から知っている芸能人に街で出くわし、その芸能人に道を尋ねられたとします。
もともとその芸能人を好きでも嫌いでも、初対面なんだから感情移入しすぎずに、礼儀正しく普通にお話するだけでしょう。
過去はただの脳内データにすぎないと思って、今・ここをリラックスして生きましょう。
阿弥陀仏という仏様は、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を唱える者をもれなく救ってくださる(極楽浄土に迎えてくださる)仏様です。
嫌な気分や不安な気持ちになったとき、人生の選択に迷ったときは、
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を唱えて、目の前の問題の結果がAでもBでもどちらでも極楽浄土に往生できるから大丈夫だ、と安心しましょう。
親を恨んでも恨まなくても、念仏すれば極楽に往ける。だから人生のハッピーエンドは確定。
恨んでも恨まなくてもどちらでも合格人生です。
恨みや怒りはストレスになるので、恨まない方が苦しみは減るとは思いますが、苦しんでも苦しまなくても、念仏すれば極楽に往生できるので、またまた大丈夫です。
質問者からのお礼
御二方、ありがとうございました。吉武さんの言葉には涙が出てきました。確かにそうだなと。何でも受け止めてから考えてみようとか、受け入れようと思ったり未だに親のこともどうにかならないかと試行錯誤をしたり。分かって貰えただけで安心しました。
親も下手くそなんだと思います…。私の前で、いつもあの人は子供に見えます。皆、どうにもならない自分として生きてるのですね。
そう思うと少しは人間関係も、親のことも楽なように思えます。
仕方ない事もあるんだな…って考えられるかもしれません。なのでこういう一瞬の過去も大事にしたいです。
一瞬と今というのを教えてくれた願誉さんもありがとうございました。脳内データと思うのは結構難しいので、やっぱり苦しみに向き合うしかないのかなって思います…。でも今を見つめるというのは大切だと思いました。過去と一緒に歩んでいこうと思います…。