私のお参りの仕方はやっては駄目なこと?
初めて質問させて頂きます。
私は周りにあまり愚痴ることがうまくなくありません。
そのため、悲しいこと、辛いことなど誰かに聞いて欲しくなったら、近所の神社やお寺に行き、ひたすら神様、仏様に愚痴らせてもらっています。
愚痴に対してなにか返答が欲しい訳ではなく、ただ頷いて肯定して欲しいだけなのです。(否定はもちろん建設的な意見も辛い時があります)
仏様や、神様ならその点、何も言われずただ聞いて貰えるので気分的に救われるのです。
あまり人がいない早朝などに行かせてもらっています。周りに迷惑をかけているつもりはありません。
ですが、最近知人にその行為はお寺的に駄目なのでは? と言われました。
私としてはやめたくないのです。愚痴らせていただいた後は、お賽銭もいれて、ありがとうございましたとお礼も言ってます。
このようなお参りはやはりしてはいけないのでしょうか?
また、続けるにせよ、このようにした方が良いとのアドバイスがあればよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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問題ありません
こんにちは
ご質問の件は特に問題ないと思いますよ。
回答はこれで終わってしまいますので、ちょっと私の考えを付け足しますね。
「神社やお寺で願い事を言うのではなく、感謝を伝えるものだ」という考えがあり、お友達はその考えの延長で「愚痴を言うのもダメじゃないのか」と考えたのでしょう。
「神社やお寺で願い事を言うのではなく、感謝を伝えるものだ」というのは確かにひとつの考え方で、熱心に寺社でお願い事ばかりして、何の努力もせず、うまくいかないと、「あの寺社はなんの御利益もない」などと触れて回るような方には、「神社やお寺で願い事を言うのではなく、感謝を伝えるものだ」というアドバイスは有効でしょう。一方でたくさん努力をして、その中で寺社にお願いをして、ダメなら力不足だったご縁がなかったと思い、うまくいけば感謝の気持ちを伝えよう、という方に「寺社にお願い事はダメだ、感謝だけにしなさい」とは言えないでしょう。
ご自分の悩みの内容を言葉にするのは、その問題を解決するのに有効な方法です。悩みの内容を整理しないことには言葉にできないですから。悩みの内容を言語化する事でどうしたらいいのかがわかってくるものです。誰かからのアドバイス無しで解決に向かうことができる事もあると思います。寺社に向かう道ではモヤモヤしていても、帰り道ではスッキリしているのではありませんか?
それでもひとりで抱え込むのはつらいものです。たまにはお友達や、hasunohaなどにお気持ちをぶつけても良いと思いますよ。
良いですよ
よいのではないですか。
なんでもありのまま受け入れるそれが仏の働き。つまりはあなた自身のあり様であります。話すことで、掴んだものを手放し楽になれる。そうだと思います。
なんでも吸い取ってくれる蓮の葉のお坊さんでも良いと思います。
愚痴を吸い取ってもらったら、今度はお坊さんの話を聞いて、安楽に生きる道、仏道を学ばれ自己を究明していくことです。
仏であるご自身の姿に気付きますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
お返事遅くなってしまい申し訳ありません。
やり方が間違っていて失礼にあたるのではと動揺してしまいました。
安心して近所のお寺、そして機会がありましたらhasuonohaに愚痴らせていただいたます。
ありがとうございます。悩みを手放すことで、少しでも本来の自分になれるならこれ程良い事はないですね。仏教についても機会を見つけて勉強していきたいです。