お参りで唱える言葉
自分の家では日蓮宗を信奉しており、子供の頃からお仏壇では「南無妙法蓮華経」と唱えなさいと教えられていたので何処かへお参りした・菩提寺以外のお墓参りの時にもそうしていたのですが、
仕事でお寺に行ったり仏像を見る事が多くなるにつれ、宗派ごとに本尊が違うのでいつも「南無妙法蓮華経」でお参りしていた事は間違っていたのではと感じるようになりました。
そこから、お寺をお参りした時にそれぞれの宗派の主な本尊の名前を唱名しながら合掌する事にしたのですが、お寺ごとにも別な仏様がいる事に気づき少し混乱してしまいました。
正しいお参りをする為に、始めにお寺さんにご本尊を確認してからお参りするのが確実でしょうか?
お坊さんからの回答 4件
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をてつ 様
私は日蓮宗の僧侶です。
どこへ行っても、どこへお参りしても、お題目をお唱えなさい。
もし回りに迷惑になりそうだったら、黙唱でもかまいません。
心ゆくまでお題目をお唱えなさい。
お題目が全ての仏様へ、すべての仏様の世界へ通じていくのです。
と私は信仰しております。
だからといって他宗を非難するようなことはありません。
仏様の世界は通じ合っているものなのです。
分け隔てがないのです。
そう思ってお題目をお唱えください。
合掌礼拝
ご質問ありがとうございます。
仏様のお名前をお称えするのは良いことですね。
分かりにくい時は遠慮なくそのお寺の人に聞いてみてくださいね。
唱えてどうなることが大事なのか
宗派によってお唱えごとが違うとしても、心が向かう先が別々だったらおかしいと思いませんか?
南無妙法蓮華経でも、
南無阿弥陀仏でも、
南無釈迦牟尼仏でも、
南無返照金剛でも、
南無帰依仏でも、
みな、この自己、おのれ、自我意識を主体とせずに、
仏の働きを優位にさせるという意味合いでもある訳です。
そうすることで人間本来の法の働き、仏の働きが自ずから現れる。
その心は別に宗派が異なっても違うということはないはずです。
天から見れば、鳥は鳥。
人間の世界からすれば、鳥はバードだったり、オワゾー(フランス)だったり、フォーゲル(ドイツ)だったりします。
ですが、鳥の呼び名が異なれども鳥という事実は鳥という事実そのもの、生命そのもの。
仏の呼び名も無数にあるでしょうが、仏そのものを呼び、仏の働きを呼び、仏の働きを念じて、意識して、その働きそのものになるということの入り口は何であっても構いません。
自分がしっくりくる呼び名を呼べばよいでしょうが、仏教のほとけのあらわしかたも各宗派で個性があり、多様性です。
それぞれ尊重してさしあげましょう。
日蓮宗の中では南無妙法蓮華経。
念仏宗ならば、南無阿弥陀仏
曹洞宗なら南無釈迦牟尼仏、
それぞれ法身を念ずる、仏のお姿を念ずる、仏の働きを念ずることで、法そのもの、仏の働きそのものとなればよいのです。
導き先はみな同じ仏の世界、浄土極楽、法の世界、人間の価値観や相対的な世界を超えた仏の心に向かえば、唱え方がどうであっても、心は万人共通の安らかで穏やかな心でしょう。
南無三宝
迷ったときは南無三宝(なむさんぼう)と唱えてはどうでしょうか。
全世界の仏教徒共通の内容ですから。
また、南無妙法蓮華経と唱えているあなたご自身を仏前に奉納するという意味であれば、小声でなら、他宗派のお寺で南無妙法蓮華経と唱えても良いと思います。(自己満足の世界ですが。)
質問者からのお礼
皆様色々と答えて頂きまして、ありがとうございます。
胸のつかえが取れました。



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