法華経の譬喩品について
法華経に魅了され、法華経を読み続けていますが、一つだけ気になる点があります。
譬喩品の後半には、法華経を誹謗した者は来世において身体に障がいをもつことや、病人になり死に至ることや皮膚病になることなどが書かれています。
実際にこのような状況にあり苦しんでいる方々がいる中で、法華経のこの部分を理解することがとても難しく、苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
菩提心とはポリコレをも超えた一切を善導する力
その説の後の方に、この御経は菩提心を持つものにだけ説き聞かせなさいという言葉が出てきます。菩提心を持っている人がそれを読めば別の方には向かわないけれど、菩提心を持たない者は曲解が生じたり、他の話がメインになってしまうということがあるのです。
法華経に限らず古典は当時に記されたものです。現代のようにすべての人々に配慮するポリティカルコレクトネスなどのルールなどありません。行き過ぎたポリコレや多様性は正義の剣となって善悪を裁くことがメインになります。
昭和オヤジが我が子をより良く導かんとして「この◎◎◎め!」と暴言のように聞こえるものでそれも愛。表現能力や学が無い、現代風ではないということだって恵まれない時代・状況なのですから可哀想でしょう。音楽も社会の底辺から誕生したものは言葉が乱暴ですが、それを無くしたら魅力がありません。今の時代の人権・ポリコレと関わらせるとまるで別の話になってしまいます。本道・主旨が先にあって「これをやればより良い方向へ進めるよ」という趣旨を説いているだけで、細部にこだわるとズレます。現代でも悪いことをすると世の中で一般的に苦しいとされる❝このようなこと(文中の現代的には不適切な表現)❞のようなことが起こりかねないよ」ということがあるはずです。それを時代を超えた現代の第三者、人権や差別やポリコレを関わらせると仏典に限らず世界中の大半の本が趣旨とは違う方向をメインとさせて趣旨がズレてしまうでしょう。
うちの子供も発達障がいを抱えております。発達障がいということばもそのうち不適切だという時代がくるでしょう。あなたのように言語に繊細な方が現れたらそのものを菩提心でより良いカタチに導けばよいのです。
ポリコレや言語狩りは仏典の中にある現代においては差別と捉えられかねない表記を指摘しては何かと批判の材料にしようとする人もおられますが、お互い丁寧な姿勢が必要です。中には別の目的がある人もいますので何でも差別だ人権だポリコレだという正義パトロールは「裁くことや善悪をつけることをがメイン」となっています。
難癖をつける、価値を貶めることがメインになってしまうのです。
だからこそ、そういう双方の心をもより良く導く精神こそ菩提心であり、高い人間性を求める精神です。
当時の時代背景による表記は現代においては新たに適切な訳、配慮のある現代訳を個別に設けるべきでしょう。