自分で自分に謙遜
自分で自分に謙遜(暗示?)のような事をしてしまっていてとてもしんどいです。
私は絵を描いているのですが、本当は毎日沢山描いているのに全然描いてないなと思ったり、評価を頂いているはずなのに中々評価貰えないなと思ってしまいます。
良い現実から目を逸らしているという、謎の自体に陥っています。
こんな思考良くないと頭では分かってるのですが、何故こんな事になっているのか自分でも分かりません。他人に対しても謙遜する癖があるのでそのせいでしょうか?
どうしたら、自分に嘘をつかず素直に生きられるでしょうか…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ありがとう」は魔法の言葉
おはようございます。薫衣と申します、よろしくお願いいたします。
お悩みを拝読して感じたのは、まず必要以上に謙虚になり過ぎて辛いのかな?と思いました。
例えば、土井様が友人を褒めた時に「いや違う。全然ダメよ!」と言われたら残念な気持ちになりませんか?
逆に「ありがとう!励みになるよ」と言われたら嬉しいですよね?
謙虚は悪いことではありません。
謙虚過ぎること、それで自分も他人も辛くなるのです。
「感じていること、考えていること、そしてその言動や態度が一致していること」を自己一致と言います。
カウンセラーの必要条件と言われています。
カウンセラーの表情や態度、思考、感情が一致していないと相談者はモヤモヤしたり嫌な気持ちになるのです。
プロのカウンセラーは自己一致するようなロープレやトレーニングをたくさんしなければなれないです。
また、土井様は褒められる、評価される、認められることも照れくさいとか恥ずかしい、そんな体験が幼い頃にあったのかも知れませんね。
土井様に提案したいのは先ず、評価されたり褒められたら謙遜するのを一旦止めて
「ありがとうございます」と言って「受け入れる」ことからスタートしてみてください。
その後に「だけど、まだまだなんです」とか「それが、もっとがんばりたくて…」と言って謙遜する。
それは良いと思います。
それから自己分析。
苦しいかも知れませんが書店に自己分析、自己理解のワークブックがあります。
もちろん、土井様が謙虚なのは自分だけの責任ではないと思います。幼い頃、記憶がなくても誰かに「謙遜しなさい」とか「謙虚な姿こそが美しいのよ」と教えこまれたのかも知れません。
爽やかなコミュニケーション、素直になる努力やトレーニング、俯瞰してみるスキル、短所も受け入れてみるetc…
そうしているうちに苦しさが減ってくると思います。
それでも解決しなかった時はまたお気軽にご相談くださいね!
応援しています。
ただの謙譲語として
理想の自分を掲げ過ぎているのではないでしょうか。
人と比較したり、こうでなければならないという理想があるのではないですか?
理想は掲げすぎることで自分を苦しめることになります。ありのままの自分で満たされきっているということを心底受け入れないと苦しいですよね。
仏様はあなたのありのままを認め許しているからこうして生かしていただいているわけです。命をまっとうするまで、生きようとするこの体に学んでください。何不足ない活動しているでしょ。仮に片手がなくても不足ない働きをしています。お腹は空いて、髪はの伸び、心臓を動かし、皮膚は生まれ変わり、目を開けたらものが見えて、音があれば聞こえる。足りないことなんてないのです。
謙遜なんていりませんよ。素晴らしい生き様です。
仮に声にしたとしても、心は満足していたらそれで良いのですから、言葉という道具として謙譲語を使いつつ、謙遜しすぎることは相手にも失礼になりますから、人として対等であるということに目を向けていきましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分の在り方を見つめ直して成長して行けたらなと思います。
お坊様達にも善い出来事が起こりますように。