入信しなければならないですか?
ここ1.2年よく生きる意味を考えます。そこでネットで調べたら仏教での生きる意味や、それに連なる数々の話が出てきました。
それで形から入ってみようと、両手を合わせて生きる意味を考えようとしました。すると不思議と落ち着き、考えもまとまり辛さも軽減しました。
またすぐツイッターやYouTubeを見ようとするので、そのたびに煩悩、煩悩とつぶやくと意外と自分を制することができます。
すごいと思ったので、手を合わせる時に使おうと、ネットでちゃんとした数珠も買いました。
そこで、ふと思いました。自分は無宗教なのに手を合わせていいのか、数珠や数珠のブレスレットを身に着けていいのか、仏教の教えの美味しい所だけを掬っていいのか。自分に合う宗派も探して、自分と向き合う臨済宗が少し気になりました。
このような場合はどうすればよいのでしょうか、宗派に入らないといけないのでしょうか。また入信しなくても仏教徒を名乗ったり、数珠や、手を合わせるのはよいのでしょうか。
また少し浅はかだと思うのですが、臨済宗が少し気に入ってしまったので(響きがかっこよかったり、ぱっと見の教えが良かった)臨済宗用の数珠ブレスレットは身に着けてよいのでしょうか。これもちゃんと入信してからの方がよいのでしょうか。
多くてすみません、勝手に仏教徒を名乗る場合、自分は無宗教ではなくなり「自分は臨済宗だよ」となると思うのですが、それでゆくゆく臨済宗がしっくりこなくなり、他の宗、たとえば浄土真宗でしたら、急に「今は浄土真宗を信じてる」などと変えてよいのでしょうか。それとも一つ一つ手続きをしなければならないのですか?
宗教に触れてこなさすぎた為、どこまで許されるのか、こんな手軽に名乗れるわけがないと思ってしまいます。
長々と失礼しましたが、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あわてなくていいです
拝読させて頂きました。
いいと思いますよ。色々な宗派はありますけれども、根っこにあるのはお釈迦様の教えである仏教であり、真理ですからね。
宗派は仏教の教えを信じていき実践していく為の様々なルールというか道しるべですからね。
逆に様々な宗派の教えに触れて色々なお坊さんからお話しを伺ったり、書籍を読みながらあなたにあった教えに巡り会い信じていきましょう。そしてあなたの人生の中で学んでいきましょう。ですから無理矢理入信なさることではありませんし、無理矢理周りに合わせることではありません。
富士山に登るのに色々なルートがある様に仏教も様々な教えや宗派や方法やルートがあるのですからね。
あなたがこれから様々な教えや僧侶に巡り会いあなたにとって受け入れられる教えやあなたが実践なさっていくことのできる教えを身をもって学んでいかれ、これからの未来に一切の迷いや苦しみから離れて心から豊かに幸せに人生を生き抜いていかれます様に切に仏様やあなたのご先祖様に祈っております。そしてあなたを心より応援してますね。
またぜひあなたのお考えや思いや関心や興味をおっしゃって下さいね。あなたを心よりお待ちしております。
面倒なことから解放したほうが良いかも
tomatoさん、あなたの悩み我々僧侶には嬉しいことですね。禅語に「放てば手に取り」があります。意味は簡単です。「全部捨てなさい。」です。禅はすべてを捨てる。すべてに囚われるな。執着しないことです。
ある中国の話しで、「あるところに不良息子がいました。親は将来が心配になり、僧侶になるように言いました。その息子は僧侶になると言いました。その代わり、お酒も飲むし、女性とも付き合うよと言いました。暫くするとけしからんと阿弥陀如来様が注意しに行きました。そこには肉や酒、女性、そして経本がありました。阿弥陀如来様はお前は僧侶だろ。そんなもの捨ててしまえ。と言いました。そしたらその息子は肉や酒、女性、そして経本全部捨てました。阿弥陀如来様はそれでよいと言いました。」
この話しの意図することは努力すれば手に入れることは出来ます。でも、努力して、手放すこと難しいと言うことです。信心とは今を大切にすることが過去も未来も大切にすることにつながるのです。分からないことが正解です。分かった時は不正解なのです。悩んで当然です。勉強すれば宗派が決まるわけでなく。自分に向かないからその宗派があなたから離れて行くわけではありません。あなたがどこでなにをしようとも仏教は無くならない。
あなたはあなたでしかありません。あなたはあなたでしかありませんから、あなたらしく生きて下さいね。
私だって宗門に100%信心している訳ではありません。戒律や教えを時には破っています。でも、私は背負っ行くしかありません。時間が100%にしてくれるかもしれませんね。
私の回答はここまで、あとは自分で判断して下さいね。
深く学びたいときは師匠が必要
tomatoさん、はじめまして。質問を拝読しました。
tomatoさんは、生きる意味を考えていたところ仏教に触れて興味を持ち手を合わせるようになったのですね。でも、無宗教なのに手を合わせていいのか、数珠やブレスレットを身に着けていいのか、仏教の教えの美味しい所だけを掬っていいのか、迷っているのですね。
仏教では御縁を大切にします。
tomatoさんは仏教と御縁があり(仏縁といいます)、手を合わせるようになりました。書籍などで学ぶこともできます。仏教の美味しいところだけ掬っても問題はありません。
ただ、もっと深く作法や教義についてふれ実践したいなら師匠を持つことをおすすめします。自己流では右往左往してしまうことが多くなり、結果として迷い込んでしまうこともあります。松明のように進むべき道を指し示してくれる師匠がいれば目的地までたどり着くことができるでしょう。
空海上人は密教という教えを深めようとしましたが、日本では師匠がいませんでした。中国へ渡り師匠のもとで、まるで水瓶から水を移し替えるように空海上人は教えを身につけたそうです。
tomatoさんも、臨済宗に御縁がありそうだと直感が示しているなら良き仏縁を探してみてください。きっとどこかで出会うことができると思いますよ。
合掌
質問者からのお礼
大鐵さん
Kousyo Kuuyo Azumaさん
ありがとうございます。
お二人のを同時に読んだのでまとめて感謝を伝えたいと思います。
振り返ると確かに今の自分が何なのかはっきりさせたくて焦っていました。仏教は無くならないですし、お寺は逃げません。
自分を見失わずゆっくりと仏教を知れていけたらいいと思っています。
色々な言葉や話をこれから勉強していってもまだ気持ちが揺るがないようでしたら入信したいと思います。
焦らず生きます、ありがとうございます。
中村太釈さん
ありがとうございます。
これを仏縁というのですか。なんかいいですね。
分かりました。この仏縁を大事にして手を合わせていきます。
そして師匠を持つ事、これも他の御解答を参考にし、焦らず生き、仏教を知っていく上で師匠を持つ道も考えます。
新しい道の存在を知れてよかったです。
御解答本当にありがとうございます。