四十九日法要について
先日父が他界しました。浄土真宗本願寺派のお寺さんをご紹介いただき繰り上げて初七日法要まで執り行いました。
父には申し訳ないですが自宅に仏壇を置く場所がないため購入する予定がありません。
①浄土真宗は位牌を置かないとのこと過去帳と呼ばれるものと父の遺影を置くだけでも手元供養になりますでしょうか?
②今後の年忌法要の際は遺影と過去帳をお寺に持っていけば供養していただけるのでしょうか?
③四十九日法要のあと、数日してから納骨をしてもいいのでしょうか?その場合は再び墓地にお寺さんをお呼びする必要がありますか?
④やはり四十九日法要と同じ日に納骨まで執り行うのがいいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切なご仏縁です
ご相談拝読しました。まずはお父様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
さて、浄土真宗本願寺派のお寺さんをご紹介いただきご葬儀を勤められたとのこと。そのお寺さんの檀家さんになったということでしょうか。あるいは檀家とまではいかずとも、当面の法要を継続してお願いしたいということでしょうか。
もし、そうであるならばそれらのご質問はそのお寺さんに相談されるのがベストです。「こちらではこう聞いた」となるのもトラブルの元ですのでそこはご注意いただきたいと思います。
①②について。まず「供養」とは何かというのが一番の問題です。仏教的正解の前に、今まめずんさまはどのような思いでいらっしゃるかが大事です。
すなわち、亡きお父様についてどのように感じておられるのか。それによって形式も定まってくるように思います。
なお、どの宗派であっても、たとえお仏壇は置かずともご本尊を安置することは外せないポイントかと。今は小型のものや自立式のものなど現代的なものも多くあるかと思いますのでお寺さんにもご相談なさってみてください。
なぜご本尊を安置するかというと、結局私たちの思いだけでは「死」という問題を解決できないからです。私たちはどうあがいても死後を確認できませんから仏教の教えに尋ねていく他ありません。その教えの象徴がご本尊です。「供養」とは本来、仏様に捧げ物(お供え)をするものです。亡き人を偲ぶ気持ちを通して仏様に供養を捧げ、教えを聞き、その教えによって亡き人の死を大切なご縁と受け止め、自らの生にも反映させていくことが願われます。
③④について。決まりは特にありません。早ければいいとか遅ければダメということもないでしょう。ただし地域的な習慣もあるでしょうし、何よりも法要の日取り・墓地管理に関わることですからこれはお寺さんに相談するほかはないでしょう。お寺さんを呼ばずとも納骨を済ましていいという場合もあるかもしれませんが、できましたら一度でも多くお寺さんと一緒に教えを聞く機会があると良いと個人的には思います。
「こうした方が納得できる」「こうしたら自分の気が済む」ということを中心に供養を進めると、その自分が老病死していく現実を超えられないように思います。
これも亡き方からのご仏縁といただき、是非とも教えと出会う大切な機会にしてください。
質問者からのお礼
ありがとうございました
大変勉強になりました