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毎日を心穏やかに過ごしたい

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有り難し有り難し 16

学生時代は大きな悩みもなく過ごしましたが、社会人になり一度鬱病とパニック障害を患い、その後状態が良くなったり悪くなったりを繰り返して約10年経ちました。
その間に結婚や出産を経て育児中ですが、パニック障害が残り、発作が出て苦しむこともあります。外出や人と会うことに極度の緊張や不安を感じ、毎日予期不安で押しつぶされそうです。
病院には行き続けていますが、それでも治らないのは自分が怠惰だから、元々根暗だから、こんな自分に未来はないと考えてしまいます。
毎日精力的に楽しそうに生きている友人を見ると羨ましくなります。心穏やかに過ごす心掛けを教えてください。

2022年11月26日 16:30

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

比較することは現実とは違う

考え事をしていると、不安になりますよね。もしこうだったら、ああだったらと自ら不安要素をあぶり出しているわけですから。
しかし、これは作り事でしかありません。事実は目の前で起きている今の様子だけですから、事実は安心できます。自我というフィルターごしに物事を見ていたら苦しくなるでしょう。いつも思いや考え、評価というものを知らず知らずに持ち出してみているのですから。好き嫌い、善悪、損得、白黒、上下、、、色々やっているでしょ。

そういう思いの出てくる前の様子があるはずです。事実という、目の前にありのままの"それ"がそのようにあるようす。名前もついていないスマホそのものがある様子。

思いを通さなければ問題は起きませんし、軽やかに生きられます。
お釈迦さまの見つけられた安心のポイントはここです。
見たものを見たまま、聞こえたものを聞こえたまま、香ったもの、味も、感覚も、感じたまま、ジャッジせずありのままにいる。そして掴むことなく、しかしその時だけで不足のないようすに安住しているということです。

軽やかに生きている人は、問題にしない生き方をしているのです。同じことが起きていてもわざわざ問題にしないのです。戦争のニュースをみて落ち込んでいる人もいれば、その後美味しいご飯を楽しくいただける人もいる。考える時は考えれば良いがいつまでも考えていても意味がない。今あなたの体のあるここの生活、足元を疎かにしないようにしたいですね。

2022年11月27日 7:11
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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

ありがたいお話をありがとうございます。
「事実をそのまま受け入れて、それ以上思い馳せない」というのは、この病気のカウンセリングでも言われたことがあります。
メンタル系の治療の考え方としても、取り入れられているようです。
私の場合、発作を起こして苦しかった経験が強烈に根付いており、そのせいで事実だけ(外出先の景色、人と一緒にいる時間など)をそのまま受け入れられず、発作の不安を連想してしまいます。
まさに、おっしゃる通りのことができるようになれば、健康だった時代の気楽な自分が戻ってくるのだと思います。
ただ、頭でわかっていても中々実践できず…どうすれば頭を空っぽにできるかな、と思ってしまいます。
昔は当たり前だったはずのそういう状態になるには、今は修行が必要なんでしょうかね…

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