人は変えられますか
いつもお世話になっております。
今回は対人援助職での悩みです。
本来、こういった個性・特性をお持ちの方は、そのポジションに就いてはならない、役割が果たせないタイプであろう人と、一緒に組んで仕事に従事しています。
二人現場ですので、他に手を借りられる人はおらず、上司には逐次、報連相とともに、対応策を都度取らせていただいています。
困りごとは…
○ここ一番の大事な場面で、判断を誤ってしまう
(AとBの箱があって、Bを選ぶべき時に「B、お願いします」と伝えるとAを取ってしまう様なことが日常茶飯)
○他人が避けているのに、じりじりと近寄ってしまう、もっとよく見なくてはと凝視してしまう(他人の心の動きを読むのが苦手)
○基本的にネガティブ・自信がない
○極端な猫背(本人いはく、病気ではなく、悪い癖)
○表情が乏しく緊張気味で、時に怯えるような目つき
○謝り癖(すみません、すみません、をあまりにも多く不必要に用いるので、周りがかえって罪悪感を生じるほど)
○一人の作業は得意、チームワークが苦手
裏返せば、謙虚で、従順、忍耐強く、怒らない、長所はある方だと認めています。
一方で、仕事に支障が出るほど、印象が重要な場面で、演じきれず素が出てしまうこと、ヒヤリハットの連続に疲弊しており、改善方法はないかと日夜悩んでいます。
「笑顔で、明るく、はっきりと」「にこやかに、前向きに」が大切だとご本人は頭ではわかっていても、実際は難しい様子です。
リラックスしていただくために、雑談やジョークをはさむのも、初めはこちらの誠意で尽くしました。それでも起きるミスのカバーや、周りが見えていないことで生じるトラブル、諸々こちらが、幾分スキルが上なために、リードさせてもらうのは有り難い反面、常に気を回し続けねばというのも時に重たくなります。
少しずつ、覚えていってもらえれば、と、入りたての頃は、配慮し教えてきましたが、アドバイスを守れない、悲しき努力不足、臨機応変に機転を利かせるのが困難なためにこちらの苦労が増えると、もはやその人が明らかに不向きなのだろうと、知り合いは口を揃えて言います。しかしながら、人を替えるわけにもいかないのが現状です。
よく、「人を変えるよりも自分が変わる」と一般的には言われますが、こういったケースではどんな方法があるのか、お知恵を拝借できましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その人の相手をするのも仕事のうち
私の職場の建物はかなり老朽化しており、雨漏りやトイレの詰まり、エアコンの故障などが日常茶飯事です。
雨漏りの対応など、余計な仕事ですが、それも仕事の一部だと「受け入れる」しかありません。
あなたも、その相手の尻ぬぐいをやり続けることがあなたの仕事の一部に組み込まれている通常業務だと「受け入れる」しかありません。
つまり、あなたが、「嫌がっている自分」から「受け入れた自分」に変われれば、楽になります。
その人のせいで第三者に迷惑がかかって、それで会社の評判やあなたの評価も下がるかもしれませんが、「べつに死ぬわけではない」と受け入れましょう。
さらに、「仮に死んだとしても南無阿弥陀仏と念仏を唱えていれば極楽浄土に往生できるから、まぁいいか」と受け入れましょう。
人にはそれぞれ能力の差があり、改善できる場合もできない場合もあります。
しかし、この世で改善されなくても来世で改善されるかもしれませんので、「まぁ、この人(相手)も今生ではこんな感じでも死ぬまで生きられれば良いのでは」と、その存在を許してあげましょう。
欲・怒り・怠け・プライドの煩悩は誰にでもあります。相手にも自分にも。
だから、「おたがいさま」の精神で許してあげましょう、
質問者からのお礼
願誉浄史さま、早速のご回答有り難うございます。
信じ難いことも時々起きますが、これからは多少のトラブルは想定内とし、悪い方に大きくとらえず、ただ精進します。
心の持ちようを変えるチャンスをくださって、有り難うございました!