ペットの死
飼っていた小動物を亡くしてしまいました。
私は子供の頃から動物を飼ったことがなく
その子が私にとって初めてのペットでした。
飼い始めてから数年がたち
自分の中でその子がいる生活が当たり前になってきて
今思えば少し慣れや油断、過信があったように思います。
体重も初めの頃は定期的に量っていましたが
だんだんと量らなくなり体重が急激に減っているのにも気づいてあげられませんでした。
ある日出先から帰ると具合が悪そうにしていて
動物病院に連れていくと、年齢の割に体重が軽すぎることと体調があまり良くないことを言われ栄養の薬をもらいました。
薬を飲ませたら次の日は元気にしていたので
安心してしまい
私は次の日に一日外出してしまいました。
帰ってくるとペットが横たわって亡くなっていました。
私が不在の間に部屋の温度が下がっていたのと
それに対応する脂肪が体に蓄えられていなかったのが原因だと思います。
シニアではありましたがまだ寿命ではありませんでした。
私は可愛い可愛いと毎日可愛がるだけで
それがひとつの命だということ
小さなその命は簡単になくなってしまうことに気づいておらず
いなくなってしまってからその子がいた生活は当たり前じゃなかったことに気付き
心が引き裂かれるようで
天寿を全うさせてあげられなかった事
毎日後悔して泣いて、ごめんねって。
私が死んでしまえばよかったと悔やんでも悔やみきれません。
あの子の短い人生は幸せだったでしょうか。
私のことをどう思っているんでしょうか。
私が死んだ時、またいつか必ずあの子に会えますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
追善供養
なのかさま
愛着のある動物が亡くなると、本当に悲しく、つらく、あれこれと後悔も生じてしまうものでございます・・私もそうです。これまでも犬やうさぎ、鶏、亀・・と亡くなりました・・
人に大切にされた動物たちは、自然界の厳しさから離れられただけでも、相当に幸せなことでございます。
ここからは、先程にも別のご質問にて回答させて頂いたことと同じになりますが、
また、どこかで他の命を助けることに努めることによって、その功徳を亡くなったその子への供養としたいところとなります。
追善供養と申します。
動物、虫等、身近で助けられる命は無数にあります。例えば、虫を踏まないように気をつけて歩いたり、たまに肉や魚を食べないようにするなど、意識的に心がけてできるものとなります。
このようにその助けられなかった子へと向けて、善き赴き、善き生まれ変わり、そして、何よりも仏さまの教えによる善き導きがありますようにとして追善供養して頂けましたらと存じます。
また、ご縁、追善供養による仏縁によっては、来世、来来世でも逢えることはもちろんあり得るところとなりますでしょう。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。