彼女が病死しました
丁度一年ほど前に、最愛の彼女をガンで亡くしました。
その事で落ち込んでしまい、なにも手につかず、ただ死にたいと思う日々が続いています。
精神科などにも行っても、納得の行く前向きな考え方がまったくできません。キリスト教や仏教の教えを聞いてもまったく納得できません。
彼女は僕が知りうる人の中でももっとも出来た人でした。
余命を宣告されても、自分よりも僕や自分の親のことを案じ、手術で子宮卵巣を摘出されて、術後の激しい痛みの中でも、子供を産める女性を羨ましく思う自分を律するほどでした。
なぜ彼女が死ななくてはならなかったのでしょうか、なぜ僕は彼女を失わなくてはならなかったのでしょうか。
「彼女は今天国で幸せにしている」と人は言います。
果たしてそうなのでしょうか?
そう信じるほかないのは他でもない僕自身ですが、その保証はどこにあるのでしょうか?
「彼女はあなたに優しくされて幸せだったの」と人は言いますが、はたしてそうでしょうか?
僕のことを愛してくれていたからこそ、僕と家庭を築き子供を育てることこそが本当の幸せだったのではないでしょうか?
僕にはわかりますが、彼女は幸せではなかった。
できることが減っていく毎日の中で、死を感じてゆく日々に絶望し、毎日を当たり前に過ごす他人が恨めしく、またそう思う自分と戦っていました。
人は等しく罪人であると、僕も心からそう思いますが、それでもやはり彼女は若くして死ぬにはあまりにも惜しい人でした。
彼女があのように苦しむ謂れはあまりにもあり得ません。
彼女と僕のこの無念は、あまりにも大きすぎます。
僕はただ、また彼女に会いたいだけです。
どうして会えなのでしょうか、なぜもう一緒にいられないのでしょうか。
相談する身でありながら、何を聞きたいのかもよくわからない状態の自分をお許しください。
ただ、なにか、お言葉を戴ければと思います。
多すぎて書ききれません。毎日そんな自分と向き合って善処しているつもりです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感動法話。
無常観の中でもがき苦しまれておられる姿が眼に浮かびます。
今の貴方の心を癒すか分かりませんが「感動法話」釈順章師のお話を聞いて頂ければと思います。
<http://playithub.com/watch/x4k3TEMAsbI>