大切な父に冷たくしてしまう
母をうつ病で亡くしてから実家の父と同居しています。子どもの頃から仲が良く父からの愛情をいつも感じているのに、私は自分の事ばかりを優先して(忙しいふりをしてまで)父の話をちゃんと聞かず、めんどくさそうに冷たい態度をとっています。時々反省して次は優しくと思うが、すぐに忘れてまた冷たくしてしまいます。父が亡くなった時に必ず後悔するのがわかっているのに、母を亡くした時の二の舞になるのを望んでいるかのような恐ろしい気持ちが私の中にあるのです。コントロールできません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同居や介護疲れ?不器用さも愛情だと伝わっている
プロフィールも読ませてもらいました。
お母さまを亡くされてから、同居をするようになったのですね。
その間にあなたも成長し、大人になると、親に甘えたり優しくしたりすることに、照れからくる抵抗があったりするのかもしれません。気持ちはあっても、実際には冷たい感じになったり、キツイ言葉になってしまう。
きっと後悔をするのに、お母さんの時のように二の舞になるのを望んでいるかのような気持ちにもなる…。
ん〜同居が負担にもなっているのかしら。あなたの気持ちがそうなるのなら、少なからず同居が、しんどいと感じる日があったり、お父さんに優しくできたらいいのに、その優しさがどうやったらいいのかわからず、冷たくなってしまうのかしらね? それだけ、日常に余裕なかったり、介護がしんどくなっていませんか?仕事疲れはありませんか?
あなたの時間も大切にしながら、気持ちにゆとりを。自分が落ち着いているときは、声や言葉も柔らかになります。また、態度や言葉では上手く伝えられないのなら、食事や身の回りのことをするときに、「これを用意しておいたよ〜何かあったら言ってね」と言葉を添えてあげられたらいいですよね。また、介護サービスを利用していきましょう。デイサービスなど、お父さんも、気分転換になられるかも。
親子だもの。あなたの不器用さも、娘だな〜(あなたの優しさの形)と伝わっているのではないかしら。
死ぬのを認めたくない
、という否定的な気分が出てしまうからでしょう。
大好きなお父さんがやがて死ぬことが嫌なだけでなく、日々、衰えていくことも、当然、嫌でしょう。立派で、自分をしっかり守ってくれた人が、今やよぼよぼの老人になってしまって、これがあのお父さんなのか、と、認めたくなくて、反射的に冷たい態度になってしまうのだと思います。
元気なお父さんとどこかに遊びに行くなら楽しいのに、衰えたお父さんを心の面だけでも面倒見ないといけない。看護師や介護士ならお金をもらわなければならないほどの心身の労働になってしまいます。
まず、そういう否定的な気持ちが本能的にあるのだと、自分の心で認めましょう。
次に、自分が大恩を持つお父さんですから、今こそ、少しでも、育ててくれた恩に報いるために、精一杯様子を見に行きましょう。声をかけましょう。親孝行は大きな善行為です。
最後に、これは来世を信じている人が少ない日本ではかなりハードルが高い仕事ですが、思い出話なんかしながらお父さんに一生涯の善行為を思い出してもらって(自分や家族が支えてもらった感謝をなるべく具体的に伝えて)、次もこんな良い生き方ができるといいね、と、来世への心の準備をさせてあげてください。
親は、自分が老い死にゆく姿を見せることで、最後の子育て・教育を身をもって行っているのです。子供たる者は、死を嫌がらずに堂々とその最後までの生き方を目に焼き付けるべきです。見送る側にとっても最後の大きな善行為になります。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私は看護師なのにという気持ちで情け無くなっていました。その前に娘である事を、今も愛され愛する大切な家族であることに気づきました。
心がすっとしました。
限りある時間を生きます。
善行してみます。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
言葉を添える。やってみます。
仕事ではできていること、やっていることも家族には照れがあるのですね。
幼くて照れている自分が少し見えました。
ありがとうございました。