真言宗・天台宗では在家者は何をするのか
私は数年前に自分の意思で浄土宗を選びましたが、現世利益も欲しい俗物なのでこの初詣には真言・天台のお寺に観音菩薩を拝みに行ったりもしました。参拝に行くとこの両宗のお寺はきらびやかで拝み応えがありますね(笑)
天台宗の念仏部門が独立してできたのが浄土宗だとするなら、こんな僕は天台宗の方が合っているのではないかとか、真言宗でも僕の周りには新義真言宗のお寺が多いのでそれなら阿弥陀信仰と現世利益を両立できるのではないか……などと心が少し揺れています。
ただ、浄土宗には在家者の往生の方法として称名念仏がハッキリと確立されていますが、真言宗や天台宗では僧侶ではない在家者は何をすれば成仏・往生できるのでしょうか? そんな方法論が無いから法然上人は凡夫のために浄土宗を開いたのさと言われればその通りかもしれませんが……。
枝葉たる現世利益を求める余りに本幹たる往生・成仏の道筋を失う改宗なら本末転倒だよなと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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六波羅蜜
仏法僧の三宝を敬い、
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜をできる範囲で実践しましょう。
そうやって現世で功徳を積んでおけば、極楽浄土に往生したときに悟るのが早くなるでしょう。
極楽学園に入学する前から修行の予習をしておくのです。
現世利益は仏様に与えてもらうものではないと思いますが、六波羅蜜の功徳で現世においても幸せになりやすい性格や能力が育つと思います。
追記
大乗仏教の天台宗から派生した浄土宗のお坊さんとしての意見です。
浄土宗でも、たとえばお彼岸に六波羅蜜の法話をするお坊さんは多い気がします。
六波羅蜜を完璧には実践できない私達凡夫ですが、できる範囲で実践することは無意味ではないと思います。
修行しにくい娑婆世界での1日の善行は、修行しやすい極楽での千日の善行に匹敵する尊い行いと言われます。
追記2
往生浄土の方法としては本願念仏だけで完璧ですから、六波羅蜜を実践しない人は往生できないと誤解されては困りますが、六波羅蜜を否定するならお寺への寄付やボランティア活動も布施波羅蜜だからやっちゃダメとなりますからね。
追記3
現世利益の祈祷は、うちの寺ではやっていないです。人々の幸せや平和を「願う」ことは慈悲の実践として良いと思いますが、祈祷(祈れば叶うという前提)とは違うと思います。ただ人々の願いに寄り添うだけ。
質問者からのお礼
>願誉浄史さま
浄土宗のお坊様から答えをいただけるとは意外でした。
そのお答えは浄土宗の立場からのものなのか、最初のこちらの質問の意にある真言・天台宗ではこうだと代弁してらっしゃるのか、それとも通仏教的なものなのか、どれでしょうか?
六波羅蜜を大事に…というのもなんとなく専修念仏の浄土宗らしくないなとも思ってしまいますが…。
返信お待ちしています。また教えてください。
追伸ありがとうございます。
浄土宗の経本には般若心経も載っているし、六波羅蜜も説くんですね。
専修念仏だけど通仏教的な伝統は捨てないその姿勢が好きです。僕の家は浄土真宗ですが、真宗だとそういう部分は自力であるとして切り捨てちゃうので。
なるほど。
もう一つ教えていただきたいのですが、浄土宗でも現実には密教ばりに現世利益の祈祷をしてますよね。これはどう受け止めたらいいのでしょうか?
「天台宗から派生した浄土宗」と願誉さまもおっしゃっているので、往生のためには本願念仏だがその他の事は天台宗の祈祷を踏襲していると考えていいのでしょうか?(だとすると僕としては大変うれしいです。僕の求めるものは浄土宗にすべて詰まっていることになりますから)
なるほど。ありがとうございました。