病弱でもボランティアがしたい
私は病弱で、精神も患っていますし体も患っています。臓器もボロボロで、28歳でそこそこ若いのに身体能力はもう老人のそれです。いや、下手をすれば健康な老人の方がもっと体力があるかもしれません。けれど、そんな自分でも人助けがしたかった。そして私はある結論に辿り着きました。
それは、今の現代を支配している「ゲーム」という文化を使ったものです。自動演算(わかる人に言えば連射コントローラー)をしてくれる機械(ちゃんとアマゾンでも発売されている正当な品でゲーマーなら愛用者も多く、違法性のものではありません)を使い、寝ている間にオートで作業を行ってもらい、長い作業時間に対して確率1%を下回るレアアイテムを入手したら、それをSNSを使って無償で誰かに配布する行為です。
これならば「自分の得」を削って誰かに譲ることそのものをボランティアにしているため、体力を使わなくて済みます。つまり、私は人に譲るためだけにこの作業を黙々と続けているのです。人を喜ばせることに、何か自分の魂の行き先に必要性を感じ、それを行うことに自分も喜びを感じているからです。
これは仏教的に言ってなんらかの「行」にちゃんとあてはまっているでしょうか。また、己の中の仏をちゃんと育てることができているでしょうか。なまじ、ゲームというエンターテイメントを使ったものなのでこの質問をすること自体に対して不安はありますが、よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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施しをすることで
拝読させて頂きました。
あなたが人の為に施しをなさるということはとても尊いことですし、素晴らしいことです。あなたはそのお考えや行いによって徳を積むことになっていくでしょう。そしてあなた自身の心も救わせていくことになるでしょう。
具体的にどの様なものをあなたが得て人に対して与えることになるのか詳細にはわからないですけれど、あなたが得たものを求める人に与えることは本当に尊いことです。善行にあたると思います。
それ以外でもあなたが可能な範囲で困っている人や求めている人に施しをなさっていきましょう。そしてあなたも多くの方々から与えられて毎日を皆さんと助け合いながら生きていきましょう。
あなたが人に与えることで人も喜びあなた自身も心豊かに清らかに安らかに人生を生き抜いていかれます様に切に祈っています。至心合掌
お返事ありがとうございます。人のことを思いやり人に恵み与えることが自らを救うことになります。あなたがこれからもお優しいお気持ちを持って毎日を健やかに生きていかれます様に切に神仏に祈ってます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。あなたさまのお優しく前向きなお言葉で、私のように救われる人間が存在します