人生の修行なのでしょうか。
昨年、全く前触れや自覚症状がなく緊急入退院を繰り返し、手術を受け退院後は今後の生活や仕事について不安の連続によりインターネットを通じて楽になること等を調べていました。
振り返ると冷静じゃなかったように思います。
少しずつ日雇いのアルバイトを体調に合わせながら入れ、気持ちが安定方向になり社会復帰をしたものの完全ではなかったのか体調を崩すこともあり退職。
その後、完治をして今後の不安がないと言うと嘘になります。
自分では人生の底まで落ち、少しずつ這い上がるだけですが楽しむ気持ちに転換が始まっています。
今だけでなく、明日以降のことは誰にも分からなく人生に次々起こることを最終的には自分で乗り越えるしかありませんよね。
昨年のこと、辛いことでしたが今では笑って言えます。
達磨さんが転ぶことがあっても、起き上がることが出来るように、時間かかっても起き上がることが出来るように感じています。
人生の修行なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生き物は個別に違う
たとえばセミは成虫になってからの寿命がとても短い。
そもそもセミはスマホも使えないし病院にも行けない。
あなたも、セミと比べればかなり恵まれていると言えるかもしれません。
セミがあなたの人生を見たら「天国かよ」と思うかもしれない。
仏教の修行は、いかにして幸せを感じやすい性格になるか、いかにして悩み苦しみストレスを感じにくい思考回路になるかというトレーニングでもあります。
究極的には、他人ともセミとも比較しないで、今の現実の自分のままで満足して死ぬまで生きられることかもしれません。
質問者からのお礼
こんにちは。
お教えていただいた言葉、とてもずしっと気持ちに刺さります。
セミはスマホ、病院にも行けない。
セミとして生命を受け、一生懸命に生き鳴き声が時には賑やかに感じることは生きた証と言えば良いのか考えてしまいます。
もう一度、私自身が歩んだ道、これからを思い考えてみます