たらればを考えて不安になる
はじめまして。
私は昔から心配性で、過去のことを考えたりして、すぐ不安になってしまいます。
具体的にいうと、過去の起らなかったことに対してたらればを考えてしまい、それが原因で不安になったり、怖くなったりしてしまいます。
例えば、運転中に危うく事故を起こしそうになったり、仕事で大きなミスをしそうになったり、自分の勘違いや甘い判断で多額の損害を請求されそうになったりしたです。
幸いなことに、全部杞憂で終わり、いままで人生が変わるような大きな失敗はしていません。
ですが、たまに思考が浮かんでくるのです。あと少し違ったら大変なことになっていたのではと。
悪い方にばかり考えてしまい、実際に起こる確率が低くても、起こる確率が僅かでもあるなら、そのことを考えて不安になってしまいます。
また、悪いことだけでなく良いことにも思います。
自分の人生を変えてくれた友人や知人、仕事との出会い。そういったものと少し何かが違うだけで出会えてなかったと思うと正直怖くなります。
もちろん、過去は絶対に変わらないもの。
ただ過去があって今があるということ。
頭では理解しています。
過去に対して必要以上に考えることが無駄なことも。
なので、過去にこだわらず、今を精一杯生きようと仕事や趣味、友人や家族との交流など、前向きなことを意識的にするようにしています。
それでも、たまに家に1人でいると意識無意識関わらず不安になるのです。頭にたられば思考が浮かんできて、それが反復し、怖くなってしまうんです。
人は多かれ少なかれこういうことがあると思うのです。
是非、この恐怖との向き合いかたを参考までに教えていただきたいです。
また、自分としては色々考えたり、周りの人に相談したりしたのですが、なかなか答えを出すことができず、自分にはない別の側面での思考法、考え方、アプローチの方法を知りたいと思い、今回相談させていただきました。
長文になりましたが、何卒よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思考の堂々巡りは妄想雑念
おなじ情報の中で10分間考えても答えが出ない(変わらない)なら、10時間考えても同じです。
ただ、脳・神経が疲れるだけで、具体的な展開がない。
そのような思考の堂々巡りは妄想雑念だと、素早く気づくようにして妄想雑念を停めて、別のことを考えましょう。
たとえば、瞑想やマインドフルネスをやってみて、妄想雑念に溺れないコツをつかむようにしましょう。
そういう私達ですので
拝読させて頂きました。
あなたがもしもこうだったらと思いだすととても不安になってしまうお気持ちとてもよくわかります。あなたのその不安や心配や恐怖を心よりお察しします。
そうですね、私も刹那刹那にそう感じたり思い起こすことはありますね。もしもあの時ああだったら、一瞬でも変わっていたら、巡り合わせやタイミングが合っていたら等々思い返していくととても恐ろしく感じることはあります。
細かくはあげませんがその様な思いや生死の境を私も感じながら生きてきました。ですからそう感じるのは決してあなただけではないのです。
私達はその様な様々な無限の巡り合わせの中で生きています、或いは生かされていると言った方がいいとも思います。ですからその様な中で与えられているものでもあるのです。
あなたもお気づきの通りアタマの中に思い描かれる「もしもこうだったら・ああだったら」というのは幻想です、砂漠の中の蜃気楼の様なものです。ただその様な幻想に惑わされてしまう私達でもあるのです。それは私達の煩悩つまり迷いの一つ一つですからね。
ですのでそのことばかりにとらわれずに私達の意識はそういうところもあるのだ、という感じて柔軟にとらえてみてもいいのではないでしょうか。
もしもそうなってしまったらという意識もこれからの危機を未然に防ぐ作用もあるかもしれませんからね。あまり恐れず惑わされずに振り回されることなく適度に適当に付き合っていきましょう。
あなたがこれからの未来を心おおらかに豊かに生き抜いていかれます様に、沢山の素晴らしいご縁に恵まれながらお健やかに幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。