知人の自殺による悲しみと苦しみの葛藤
数日前、仕事関係の知人が急逝しました。
自殺でした。自傷行為や自殺をほのめかすLINEを確認していながら、周囲の気を引きたいだけと思いまさか本当にこんなことになるとは考えていませんでした。
ショックが大き過ぎて感情も整理できず、涙がとまりません。また、救えたかもしれなかった命です、もっと何か私自身できることはなかったのかと悔やまれる気持ちもあります。
しかしながら当然遺されたご遺族のほうがもっと辛いだろうし、何とか平静を取り戻そうと思うのですが、身近な人の自死という今まで経験したことのない現実に、胸が押しつぶされる想いです。
このような経験をふまえたうえで、今後私はどう生きていけばよいのか。
何か指針となるお言葉を賜れたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
子どもの頃から身体が弱く、健康の不安を抱え死を人一倍恐れている気がします。家族との縁も薄く不仲な家庭で育ちながらも、親を見捨てたことに多少罪悪感もあります。不遇なことが多い人生ながら、基本明るく前を向いて生きています。
成功している人に嫉妬する気持ちがある
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いのちは尊いということ
私は浄土真宗の僧侶です。知人が自殺をされたとの事、さぞ大きなショックを受けられたことでしょう。おっしゃる通り身近な人の自殺に対してどうお気持ちを整理すればよいのか難しいですね。
不思議に思われるかも知れませんがお釈迦さまは自殺に対して否定も肯定もされていません。何故なら私たちは生まれた以上は必ず死が訪れます。死ということにおいて、自死、事故死、病死など全ての死に差異はないという見解だからです。
自死自殺の理由はさまざまだと思いますが、精神的に追い詰められた状態は心の病という状態である場合もあります、そうであれば末期癌で亡くなることと比べても病気という意味では変わらないとも考えられます。
しかし、お釈迦さまはいのちは尊いものだとおっしゃいます。それを考えれば否定はされていなくても極力自死という選択をしない方が良いとお考えなのでしょう。
私たちは尊いいのちを生きています。あなたが、知人の自殺によって胸を押し潰される想いをするのは何故でしょう。それは命の尊さを誰にも言われなくても感じているからではないですか?
知人の死を悼む心は大切です。知人のために手を合わせ、そしてご自身が毎日を大切に生きることで仏様となった知人が見守ってくださることと思います。
ちなみに自死でもその他の死でも、必ず成仏できると言うのが仏教の教えです。
それは前述したようにすべての死に差異はないからです。
ご自愛ください。合掌
仏様にゆだねましょう。
きずな 様 相談ありがとうございます。
親しいお知り合いの急逝、お辛いですね。
多少相談も受けられたようで、後悔もあり、責任も感じていらっしゃるようですね。
その人なりに、一生懸命生きてきたのですから、今は仏様にゆだねましょう。
その人の成仏を願って、あなたなりの信仰でよいので、祈りをささげる供養をしてあげてください。
そしてあなたは、なだめられることが必要かと思います。親しい人の死は、やはりショックがあったりして、悲しみがついてきます。そんなときに、誰かになだめられる。優しさや思いやりを向けられて穏やかさ温かさを感じる。ここに居ていいんだよという安心感が得られることが大切です。近くにいない場合は、グリーフケアのカウンセラーやセラピスト、僧侶を頼ればよいかと思います。
人に頼るだけなく、ペット、癒される場所(お寺、海辺、山の景色など)で穏やかさや落ち着気を感じるのもいいでしょう。
どうしても、悲しみから、受け入れられない怒り、嘆き、落ち込み、諦めという感情が行ったり来たりするかもしれませんが、悲嘆の感情はそれが当たり前と思って、無理に回復しようとか、泣いてはいけない等で自分を責めずに、泣きたいときは泣く、頼りたいときは頼るで、やがて底を打ち回復すると思うようにしてください。きっと安心できる大丈夫なときが来ますので。
参考にしてください。そして困った時はどうぞご相談ください。合掌礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。悲しくて辛い時が続くようでしたら、遠慮せずご相談ください。ご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
宮本様
早速のお返事ありがとうございます。
自死でも成仏できるというお言葉に、安心いたしました。
また、自死は命を粗末にするようで悪だという見解があったのですが、すべての死に差異はなく誰のもとにも訪れるということ、納得しました。
今後も故人の冥福を祈り、日々手を合わせてまいります。
釋様
温かいお言葉ありがとうございます。
その方は30数年の短い人生でしたが、
確かに一生懸命生き抜いておられました。
今は自分の感情を包み隠さず、存分に出していこうと思います。
悲しみも苦しみも、生きているからこそ味わえるものですものね。
いのちに感謝して、仏様に手を合わせてまいります。