手術後遺症で鬱になり死にたい
不治の病で鬱状態、死にたい
2年程前に頭部の手術をし、その後遺症で顔や口元がゆがむ麻痺、顔面神経疼痛などがひどく、それが原因で鬱病発症し悩まされております。
主治医からは後遺症はこれ以上は良くならない言われ、口元の歪みでうまく喋れなくなり食事も億劫になり、人と会食もさけるようになり、以前は食べることが楽しみでしたが生きる希望を見出せなくなっております。
辛い疼痛で眠れないときは主人や家族が身体をさすってくれ、巻き込んでしまい本当に申し訳なくなる状況です。
私には勿体無いくらい優しい主人です。
こんな状況から逃れたく、私が死ねば主人も解放されるしと死ぬことばかり考えてしまいます。
以前は後遺症が治ったら、あれもやりたいこれもやりたい等思っていましたが、治る兆しがないのと鬱になってからは前向きに考えられなくなりました。
思い描いた人生を生きたかったのですが、全くそうならず、死にたい気持ちが上回りつつあります。
死ぬのは怖いですが、死んで楽になりたいです。
主人や母など家族は、私が自殺したら自責の念にかられるでしょうし、死ぬのは怖いけど死にたい、この考えがループして身動きがとれません。
どうしたらよいでしょう、何卒アドバイスお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おつらいことですね。でも生きていきましょう。生きていけます…
おつらいご心中お察しいたします。
『思い描いた人生を生きたかったのですが…』とおっしゃっていますが、ご安心下さい。そんな人生を歩めた人は世界史上1人もいません。万里の長城を築く力を持った秦の始皇帝ですら、最後死んでいきましたから…死にいく自分は思い描いていなかったことでしょう。また認めてもいなかったことでしょう。
人生はままならないものです。
顔や口元がゆがむ麻痺、顔面神経疼痛…つらい後遺症に悩まされていらっしゃるとのこと、本当に察するに余りあり、その苦悩は私の想像をはるかに超えるものかと思います。
でも、その痛みなどを取り除くことができなければ、それを抱えて生きていくしかありません。
私はちょうど先程『カケラ』(湊かなえ/著)を読み終えたところです。
「人は学校や会社などといった絵画の一つのピースである。ただ、もし私というカケラがその絵に上手く当てはまらなければ、自分の形を変える方法はある。でもそうでなくても、他の絵でならば私というカケラはピタリと収まるかも知れない」…といったことが書かれていました。
思い描いた人生を歩めないあなたは、でもやはりあなたなのです。あなたの人生を生き、どうぞこれから あなた自身の絵画を描いて下さい
あなたは世界にたった1人の掛け替え無い、誰にも代わることの出来ない存在です。優しい夫君や御家族に囲まれ生きている、それが現実のあなたです。
どうかそのことに引け目を感じる前に、「感謝」こそなさって下さい。
どうにもならない私の存在をそのままに受け止めて下さっているのが、夫君であり御家族であり、周囲の多くの人々である…そのことに気付き、目覚め、感謝なさりながら、力抜いて自然のままに人生を歩んで下さい。
どうあれ、「あなたを受け止める、認める、そしてすくう…だからこそ私に任せておくれ」とおっしゃる仏様の慈愛にその身を委ね、つらい思いを手放して下さい。
そこにこそ、あなたの生きていける道が開かれます…。
どうか、くれぐれも御自愛下さいませ…。
質問者からのお礼
ありがとうございます、
それでも生きなければいけない、、、残酷な現実です。
優しい家族に恩返ししつつ、頑張れるところまでは頑張ります。