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生きる意味が分からなくなっている

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前回初めて相談させて頂きました。タイトル通りますます生きる事が分からなくなってきました。文字の関係上乱雑ですがお許しください。自分が子供の頃両親は離婚し、片方の祖父母に育てられました。食と住まいがあり、育てて貰えたのは感謝していますが、何もかもがお下がりで、おもちゃを買ってもらったことも、旅行も、何もかもが泣きわめくほどでない限り、何もありませんでした。祖父母も親も今思うと、世間一般より自分に興味がなかったのだと思います。そしてその事もあってかおどおどした性格で、ずっといじめられていました。また大学生になり自分は親から5年程、暴力による虐待も受けました。ただ、自分にまだ逃げることも自立も出来ず、ただやり過ごすことしかできませんでした。恋人が出来れば跡取りになれなや、なれないなら軟禁まがいなことされ、自分やパートナーの家、職場に罵声の電話をし、誰にも相談できず、どんどん頭がおかしくなりそうでした。そんな中、自分は結婚しました。自分は自分の人生について、自分がされて嫌だった事を子供にしたくないと、子供を産まないという選択をしています。もちろんパートナーに虐待のことは結局言えず、口が裂けても死ぬまで言うつもりはありません。そして過去の経緯を了承し、一緒になってくれました。しかし今になりわかりきっていたのですが、親からの子供を産めという攻撃にずっと夫婦で苦しんでいます。ここでは書けないような言葉をたくさん言われました。パートナーもそのストレスからか前よりも感情的になり、自分にも向けられ、自分でもどうすることも出来なく、情けなく、いっそ死んでしまいたいと思うようになりました。友人にもあまりにも重すぎて話せる内容ではなく、仕事でもそれなりではありましたが、後輩の急成長に焦り、もがいてしまい、コミュニケーションも皆無の職場で、きっと自分は戦力外になるだろうなと思ってしまいます。
なぜ人はあんなに伸び伸び生きれているのですか?自分は何故こんなにも…と思ってしまうのです。パートナーに話してもなんだか煙たがられ、親からはストレス解消のようにされ、自分は居なくなっても良い存在かもしれません。消えてしまいたいと毎日思ってしまい何度も心を殺してしまっています。
自分は生きていていいのでしょうか?

2023年1月26日 12:36

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

先天性後天性の善悪どちらの作用もよりよく転ずるガチャ精神

人は生まれをえらべません。
世間で親ガチャという言葉がありますように、たまたま!どういうわけか!そういう環境に生まれてきてしまったのです。それがあなたのみならずありとあらゆる生物の宿命。しかも比較はできないから、自分の生活環境が絶対。だからこそ、そのクオリティを上げていこうぜ⤴というのが全人類に与えられた自由な使命です。
だからこそ!あなたが背負ってきなあらゆる善悪・正負の要素をどこへどう導くか!そこから自分の負の要素も正の要素もよりよい心へと高めるべきなのでしゅ!ガチャガチャに祈りをこめて力強く回す!が、ごとくに!転ずる!のが仏教的な自らの意志のある能動ガチャアクションです。ガチャといえばガチャピンですが、彼もポンキッキ期以来なんとかたくましく生き続けております。彼はこの厳しい人間世界にムックとともに投げ出された超マイノリティです。
あの髪の毛一本生えていないつるつる頭に半開きの眠そうな顔、歯がむき出し。この冬はさぞかし前歯が冷たく苦労も多いでしょう。
どうせ…自分には…無理だろうということは彼にはありません。
あの格好でスキューバとか、白バイとか、流鏑馬とか…、くわしくはガチャガチャピンピン、ガチャピンチャンネルをごらんください。彼のひたむきな前向きなチャレンジ精神豊富な生き方にあなたの学ぶべき答えがあります。

さて、ここで大事な話を一つ。親も親で生まれを選べなかった人たちなのです。
あなたにいつまでも毒づく悲しい性格の親御さんも生まれを選べなかったと考えてあげてください。そうすれば別に仲良くなろうとしなくてもいいですが、仲間です。
同じ宿命でこの世に生きている家族なのです。
そして、さらに大切なのは、人は幸せにならなければ誰でも生きている意味が見いだせなくなるような心理に落ち込むのは当然だということです。
あなたが今求めるべきことは、本当に満足ある生き方ですよ。
人間は心が負のレッドゾーンにあると何をいただいても受け取ってもつまらない反応しか出てきません。ところが、坐禅をして心のデトックスをして本当に自分のあるべき心の方向が見えれば何を見ても聞いてもおいしいことばかりな受け取りになれるのです。坐禅とは心がそのように幸せセンサーが最上になるために行ってもよいのです。
あなたが次世代に伝えることは先祖代々受け継がれてきた命と自分も子供も救いへ導く豊かな精神です。

2023年1月27日 10:46
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

幸せに生きて下さいね!

拝読させて頂きました。
あなたが今までとても辛い思いをなさっていらしたことや今も辛い思いを抱えておられることを読ませて頂きました。その思いはあなたでなければ分からないかもしれませんが、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。

宜しければあなたのその思い一つ一つをゆっくりとお話なさって下さい。誰にも言えずに抱えているその辛い気持ちや苦しみをゆっくりとお話なさって下さい。あなたのプライバシーに関わることもあるかもしれませんので、個別でお話をお聞かせ頂いても良いのではないかとも思います。宜しければあなたの思いをお聞かせ下さいね。

もしも可能であればあなたのその思いを例えば心療内科の医師やカウンセラーさんにもお話なさってみてはいかがでしょうか?あなただけで抱えずにあなたの心の中から吐き出していきましょう。そして少しでもあなたの心の中を軽くしていきましょう。

またあなたのその思いを仏様や神様やあなたのご先祖様方に手を合わせてありのままお話なさってみましょう。思いついたら仏様や神様やご先祖様方に一つ一つ心からお伝えなさってみましょう。仏様や神様やご先祖様方はあなたの思いを全て優しく受けとめて下さいます、そしてあなたに寄り添って下さいます。

あなたのその苦しみが一気にが消えることはないでしょうけれどもあなたの思いをあなたの外に出していきましょう。あなたの心の重しを出して軽くしていきましょう。

あなたは生きる意味のある尊い方なのです。あなたのことを心から大切に思っている方々がいらっしゃるのです。仏様や神様やあなたのご先祖様はいつでもどこでもどんな状況にあったとしてあなたのことを大切に思い見守っていて下さいます。
そしてあなたはこれから大切な人と共に幸せに生きていくことができるのです。
どうか心穏やかに安心なさって生きていく様に心がけて下さいね。

あなたがこれからの未来を大切な方と一緒に心から安心なさり豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様方に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。

2023年1月26日 17:22
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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