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位牌と遺影の最適な居場所

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有り難し有り難し 23

12月に母が約5年半に渡る交通事故による車イス生活を耐え抜いて亡くなりました。葬儀を済ませつい最近49日法要を終えたばかりです。
お寺に納骨し、遺影と位牌を姉、兄、私の3人の子どもの誰が見るかという話になり上2人は真っ先に私に⌈うちは無理だから妹(私)が死ぬまで見てもらうしかない。⌋と言い話し合いすらしようとしません。
兄は⌈自分は父の仏壇(真言宗)を見ている。同じ家に違う宗派(浄土真宗)母の遺影や位牌を置いてはいけないから無理だ。⌋
姉は⌈義父が亡くなり義母が仏壇を今は見ているがいずれは自分たちのところに来るから無理だ。⌋という理由です。
何も正確な話し合いや互いの納得がないまま49日法要の日、叔母に尋ねられた兄が⌈とりあえず妹(私)に持って帰らせるしかない。気が向いたら線香を供えてくれればいい。⌋と私に何の了承も納得もなく言いました。私は母が介護状態の5年半、欠かさず週1度面会に行き、体調を崩せば病院へ連れて行きました。聞きたいことや手伝って欲しいことがあり姉兄に電話しても無視し、かけ直してもきませんでした。必要な物の購入もすべて私一人で行い施設に運びました。法要のあと我が子に邪険にされる母がかわいそうでその日は私が家に連れて帰ってきました。急いで仏花と蝋燭、お線香を供えました。
翌日、何の納得も了承もなく言った者勝ちのような兄の態度に腹が立ちそういうことは3人が集まって決めることだ。もし私の家で供養するにしても仏具、蝋燭、線香もない。これから先ずっと仏花、蝋燭、線香の購入と低収入の私には生活が厳しいから3人で話をして仏具を購入し供養にかかるお金は3等分で負担しよう持ちかけたところ、兄が怒って私に⌈それなら自分が死ぬまで見るから渡せ。納骨を済ませたお寺の施主も私に変われ。それをしないなら自分がお寺から母のお骨を引き上げてくる。⌋と言い出しました。母を納骨したお寺は祖母と叔母が先に納骨されており、そこに一緒にいたいという母自身の強い希望でした。
位牌と遺影は兄が引き取りにきたので渡しました。私は自分なんかのところに来る方がかわいそうな思いをさせるかもしれない。未婚、独りで自分の生活がぎりぎりなのに手厚く供養してあげられないと思いました。兄は母の供養はこれから自分たち(姉と嫁)で勝手にやる。これから先の法要には来るなと言いました。施主を変わるべきでしょうか?

2023年1月29日 11:40

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

貧者の一灯

供養に多い少ないは関係ありません。
タイトルの『貧者の一灯』とはそういう逸話です。

街の人たちがお釈迦様に灯り(ろうそく)を供養しに来た時、大富豪が万の灯りを見せびらかしていました。
その後、いかにも貧しい老人が恥ずかしそうに「私にはこれしか差し上げられませんが」と小さな灯りを一つ供えに来たのです。

これを見たお釈迦様は
『多ければいいというものではない。そなたは苦しい生活の中、私に供養しようとこの灯りを工面してくれた。その志が尊いのだ』
と諭したのです。

生活が苦しくとも、出来る限りのことをしよう、という思いがあるなら大丈夫なのです。

しかし、やってくれるというのなら任せてもいいのかもしれません。
宗派の違いなど取るに足りないことです。

お寺からお骨を引き取るなら、お婆様のものも一緒に引き取ってもらえれば、『一緒にいたい』というお母さまの願いを無碍にすることもないのではないでしょうか?

生活が豊かかどうかは供養に関係ありません。
どちらにせよ、あなたの意志が大切です。
御話合いがうまくいきますように。

2023年1月29日 14:34
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有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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ただの記念碑

遺影はただの写真。スマホ内にデータで持っているだけでも良いのです。
位牌もあくまでただの記念碑。
お母様のことを思い出して拝むための媒体にすぎません。
遺影も位牌も遺骨も卒塔婆もただの物体。仏教的には、それらに執着すべきではないのです。
ただ、尊敬すべき偉人を思い出して拝むとき、私達の心は清らかになります。
拝むべき偉人が対象ならば、偉人を見習う良い心がけにより、心に功徳(善い癖)が積もるのです。
お母様は戒名をもらって仏弟子の一人、尊敬すべき菩薩様、拝むべき偉人の仲間入りをされました。
それは尊いことではありますが、物体(位牌や遺影や遺骨や卒塔婆)への執着は煩悩(悩み苦しみの原因)なのです。
位牌や遺影のために兄妹喧嘩をするなど、まさに煩悩に惑わされている状況。
肝心なのは「思い出して拝む清らかな心(立派な人を見習う気持ち)」であって、物体は拝むきっかけにすぎない(喧嘩するくらいなら無くても良い)と思いましょう。
また、法事の度に住職が卒塔婆を書いてくれるでしょうから、それを媒体にするのも良いです。

2023年1月30日 1:32
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

お忙しい中、回答いただきありがとうございます。大事なのは気持ちなんですね。今はもう、兄の元に行って位牌も遺影もありませんが母の写真を用意して自分にできる限り、心を込めて供養を続けることにします。ありがとうございました。

「位牌・仏壇」問答一覧

親族ではない方のお仏壇

勤めている会社には、とある事情があり知り合いから頼まれてお仏壇と位碑と遺影があります。 運び込まれた時に、魂入れ魂抜きの概念がなかったようで荷物と同じ扱いで放置されていました。 お仏壇の持ち主の親族の方は、仲が良くなかったので仏壇もお墓も継がない、という考えのようで今後も魂抜き魂入れはしないようでしたし、お仏壇もしばらくこちらの事務所に置くようです。 定期的にお仏壇のお手入れや手を合わせに来るのかも聞いていないので分かりません。 私は霊が見えるとかではないのですが、親族の方がたまたま会社にいらした時に変な重たい空気を感じ、その時だけひどく体調が悪くなりました。 もしかしたら仏様が親族に何かを伝えたかったのかな、と考えてしまいました。 それからお仏壇のことが気になって仕方なく、放置していることに違和感があり、私は全く関係のない他人ではありますが、造花や(経済的に余裕がないため毎回生花を買えないので)、家で炊いたご飯を小さく丸めて冷凍しておき、出社したときにレンジでチンしてお供えしたり、お湯をお供えしたり、私ができる範囲のことだけにはなってしまいますが、やったほうがいいのかなと考えました。 でも、全くの他人がいきなりそんなことをしてきたら仏様は戸惑うのではないか、もしかしたら魂抜き魂入れをしていないのでどこかで彷徨っているのではないか、本当は親族に来てほしいのにあなたは誰だと思い怒らせてしまうのかもしれない、余計なことをしてもし私の家族に祟りがあったら困るなど、色々と心配もしてしまいました。 こういう場合は、どのようにするのがよろしいのでしょうか?全くの無知でお恥ずかしいですが、ご教授いただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

仏壇の今後について

私は現在、叔父と祖母の位牌と仏壇を持っています。 お墓はなく、お骨は集合管理してくれる所にあります。 管理費などは曾祖母の息子さんがしていると聞いたことがありますが、10代のころに聞いた話です。                    本来は曾祖母から継いで母が持っていた仏壇だったのですが、私が手を合わせたりお花をお供えするのが好きなので、4年前 「それだったらあんたが持ていればいい」 と言われ、私のマンションに来て頂くことになりました。                     その矢先、母の部屋が大雨で水浸しになり、仏壇が駄目になり、こちらへ来るのと同時に小さい仏壇を買い、お性根入れをしてもらいました。 その半年後くらいに母と喧嘩をし、一切連絡を取らなくなりました。 プロフィールを読んで頂ければ分かるのですが、現在母・妹・弟とは疎遠になり、一切連絡を取っていない状態です。 そして2年前、私は現在のパートナーと一緒に住む事になり、仏壇と一緒にパートナーの家に引っ越しました。 そして昨年再婚し、名字が変わりました。 これが今までの仏壇の流れです。                    ここまでは良いのですが、今後、例えば私が急に倒れて居なくなった時、仏壇の行き場がなくなってしまいます。 旦那は神仏に興味が薄いので、何がなんだか分からないとよく言っています。                   いつ何があるか分からないので、今出来ることや、しなければならないことがありましたら教えて頂きたく質問を投稿した次第です。 仏壇の中にある掛け軸の文字から、宗派は浄土真宗大谷派です。                  お忙しいとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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仏壇からお供え物が落ちた

皆さま、新年明けましておめでとうございます。 早速の質問ですが、新年への日付が変わる瞬間に立ち会うため、十数年ぶりにて父方の祖父母宅で年越しを迎えました。 その後午前1時過ぎほどに空き部屋がないからと仏壇のある部屋で就寝。喉が渇いたためか目が覚めてしまい、スマホをいじっているときに、お供え物であるみかんがひとつだけボトリと触れてもいないのに落ちてしまいました。 三が日に起こる出来事は、これからの1年間を表すものと認識しています。何か私自身、それとも身内に対する何かの不幸な報せが来るという予兆かと少し怯えています。 勿論ご先祖さまが新年をお祝いにきた、とも考えましたが、性格上こうなると些細なことでも悪い方向に考えてしまい、元旦から考え込んでしまっています。 2023年は、一人暮らしを始めたり、私が発達障害と診断されたり、父方の祖父が肋骨骨折し肺気腫になったりと激動の1年でありました。 元旦の朝、スマホをいじっていた内容も治しきれない自分の悪い癖(関わらないでおこうと決めていたけれど関連の記事を閲覧してしまう)も出ていました。 ご先祖さまは何を伝えたかったのでしょうか? それともただ単に『ものが落ちた』それだけでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ