命の重さが同じだとどうやったら思えますか
いつも本当にありがとうございます。
今回も自分のせいで死んでしまった犬ちゃんに関連した質問をさせてください。
今まで何度も質問させていただいておりますが、
私は1年前に大好きな犬ちゃんを自分のせいで病気にさせ、獣医さんに言われていたことを勝手な思い込みから真逆のことをし、病気を進行させ、衰弱させ、死なせてしまう大罪を犯しました。
その後毎日hasunohaを訪れ、他の方の質問のお坊様からの回答や、私自身も質問させてもらい
「全ての命を大切にする」ことを誓いました。
虫などもなるべく殺生せず、食べ物には毎回感謝し頂いています。
しかし結局、わたしのそれは上辺だけです。
命の重さは皆同じ、そう思うようにしても、
大量に飛んでいる小さい虫を車でぶつけてしまってもさほど気にしないのに、もし人を弾いてしまったら法的にも罪になるから、そのほうが大きいことだ…。
そう考える自分も解せないです。
お坊様方はいつから、どのように、命の重さが皆等しいと思えるようになりましたか?
愛犬が気づかせてくれたのに、命を平等だと思い切れない自分が本当に情けないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今は頭で理解するだけで充分
あなたは、命が平等であると頭で理解されています。
それは素晴らしいことだし、今はそれで充分です。
私達には煩悩、執着があり、愛着のある生き物を他の者とは違って特別扱いしたり、生命に対して好き嫌いを感じたりします。
仏様のように悟っていない私達には、そのような煩悩がある。それもまた現実。
いつか、私達も極楽浄土に往生して悟りの境地に至るはず。
そのときは、全ての生命を平等に慈しむことができるようになる。
まだ成仏していない私達は、頭で理解できていればひとまず合格ではないでしょうか。
存在は平等ですが、平等に扱う必要はない
『命は平等』
この言葉は非常に危険だと個人的に思っています。
なぜなら、目の前に危険にさらされた二つの命があり、一つしか助けられないとして、一方が他人で一方が愛犬なら、愛犬を優先しない者がどれだけいるでしょうか?
仏教に所属する者が、自分とお釈迦様の命を『同じ重さだ』と言える者がいるでしょうか?
お坊さん自身が蚊を殺さなくても、米を食うなら田んぼで虫は死んでいます。
この言葉は
『100m走みたいに同時にスタートする』という意味でも、
『小石も宝石も全部同じ価値である』という意味でもありません。
『自分が自分の命を大切にするように、相手も相手の命を大切にしているんだよ』という意味です。
自分の命を大切にするのは、自分とその周りの人です。
相手の命を大切にするのは、相手とその周りの人です。
愛犬には飼い主がいますが、コバエにはいません。
価値とは他者とのつながりで決まる者なので、命の“重さ”が“価値”という意味ならコバエの命は非常に軽いです。
しかし、『だから殺していいんだ』とは普通なりませんよね。
『積極的に殺さないようにする』だけでいいのです。
『相手にも命がある』と認識するだけでいいのです。
だから、あなたの意識の仕方で何も問題はありませんよ。
気にしすぎると、一番大切なあなたの命が縮んでしまいます。
もう少し気楽に生きる意識の方が、あらゆる命を大切にできると思いますよ。
命の尊さや尊厳について
拝読させて頂きました。
とても有難いご質問を頂きありがとうございます。心より感謝申し上げます。
そうですね、命は平等に大切であり尊いということは頭ではわかっていたとしても日常生活の中ではなかなかその様に思えないこともありますよね。
命が尊いといいながら私達は害虫駆除していたり、毎日植物や動物の命を食べているのですからね。それは本当は当たり前のことではないはずなのに毎日当然の如くしていますからね。
あなたがワンちゃんの命や共に生きることを通して命の尊さを知ることができたことは本当に大切なことだと私は思います。あなたがその子とのご縁の中で実際に実感できた命の尊さやかけがえのなさはその子が生きた証でもあるのですし、あなたの心の中に深く刻まれた命の存在ですからね。
生きているものはその時間の長さや大きさには差があるのですけどもそれぞれ与えられた命をそれぞれに一生懸命に生きているのですからね。それぞれに生きていく為に命をかけているのです。本当に尊いことです。
それは自分自身にも言えることでもあると思います。
生きていくことはとても大変なことばかりですしなかなかものごとうまくいかないですし、本当に満たされて生きること等なかなかできないです。
また大切なものごとを失ってみないと本当の価値や有り難みもわからないものです。
ですから毎日を生きていく中で身をもって実感として命の尊さや大切さを知っていくのかと思います。
その様な私達のことを仏様や神様やご先祖様は優しくお見守りなさって下さいますし、お導きなさっていて下さいます。
私も本当にいくつもの大切な方々やものごとをお見送りさせて頂きました。その中で身をもって自分のことや周りの人達やものごとの大切さを知ることができました。
あなたがこれからも素晴らしいご縁に恵まれながら心から大切になさり、命の尊厳や有り難さを身をもって知り、そのつながりの中で心から豊かに充実なさって生きていかれます様にと切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。
きっとこれからもずっとその子とのつながりの中であなたは生きていくのですからね。
質問者からのお礼
願誉浄史様
お礼が少し遅くなってしまって大変申し訳ありません。
また、今回もご回答ありがとうございます。
まだ悟りには程遠い私は、今は頭で理解していれば充分とのこと…
そう仰っていただけるだけで、少し心が軽くなります。
愚かな私でも、極楽浄土に往生して悟りの境地に至ることができるのでしょうか。
今は、頭でだけでも命は平等だと思っていきます。
本当にありがとうございました。
一向寺 Kousyo Kuuyo Azuma様
お礼が少し遅くなってしまって大変申し訳ありません。
今回もご回答ありがとうございます。
愚かな私の質問に、有難い質問だなんて勿体ないお言葉です。
命は平等だと思いたいのに、結局は命を食べ、虫などは駆除してしまいます(今は積極的には駆除しないようにはしておりますが…)
しかし仰られる通り、愛犬への罪を通じて命の尊さ、平等さに気づけたことは大切に思っていきます。
まだまだ、命が平等だと思えずにいる愚かな私ですが
「毎日を生きていく中で身をもって実感として命の尊さや大切さを知っていくのかと思います」
このazumaさまから頂いたこのお言葉を忘れずに生きていきます。
あたたかいお言葉、本当にありがとうございました。
冨松山 法照寺 けいじょう様
お礼が少し遅くなってしまって大変申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます。
けいじょう様のお言葉、何度も読み返しました。
命は平等、が
『自分が自分の命を大切にするように、相手も相手の命を大切にしているんだよ』という意味です。
というお言葉、とても深く考えさせられました。
『相手にも命がある』と認識する、このことを忘れないように心に留めておきます。
そして、私の身を案じる優しさに感謝します。
本当に、ここ最近はずっと悩んでしまい、体調も崩しがちでした。
(罪を犯したのだから苦しんで当然という思いもありますが)
とても有難いご回答本当にありがとうございました。