法要と心の持ち方について
いつもありがとうございます。
先日弟が亡くなったことについて、相談させていただきました。
その後の話なのですが、
葬儀の際、義妹が弟のお骨を連れて帰りました。
その後お位牌を母が父のお骨がある遠方のお寺にお願いしました。
最近滅多に連絡しない義妹ですが、母に、
四十九日の法要までにお位牌がないと高くつくからそれまでに持ってきてほしい。と連絡があったそうです。
その際に、大きな骨壷がいつまでも家にあったら、気が散るから法要の時に持って帰ってもらいたい。
納骨は遠方だし、納骨代もかかるから行かないと言ったそうです。
それを聞いて、母も私もとてもびっくりして、傷心中です。
どう捉えればいいのか?
人として許せない思いでいるのはおかしいことでしょうか?
恐らく、四十九日の法要は、母はお位牌を渡しに行き、お骨を受け取るため、行くことになりますが、義姉の私は呼んでもらうことはないと思います。
弟の命が危ない時も呼んでもらえず、泣いて最期会うことをお願いした経緯があります。
もう、傷つきたくないので、こちらから行きたいと言うつもりはありません。
弟の大事な法要に行かないで良いのでしょうか?
私は法要だけでなく、何でもやる事が決まっている事はその通りにするものだと思っていました。
それをことごとく外れる事をする義妹を見ていて、そんな私の考えはおかしい事なのか?
義妹の行いをどう思われますか?
前回、お互い思いやりを持ってとアドバイスいただきましたが、
母も私も義妹の力になりたい気持ちでいました。
でも、この他にも色々あったので、私はもうそんな気持ちも芽生えません。それは良くない事でしょうか?
母は傷心でありながらも、善人でありたいという気持ちが大きく、
可哀想と言っています。
その気持ちは分かるのですが、
義妹と関わると、心無い言葉を聞いては傷つく母を見てはいられません。
でも母が寄り添う事を決めたのなら、それを尊重しなくてはならないことは理解できます。
でも、義妹は寄り添うことよりお金を要求しているのに母は気づいてるのかわかりませんが。
人を憎む事は良くない事だと思います。
私は心が綺麗と善人ぶるつもりもありませんが、とうとう汚い人間になったのかもしれないと自分自身信じられない思いでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人それぞれ
怒りは煩悩(悪の感情)です。
仏教の法要等のために怒りの煩悩を増幅するのは本末転倒です。
儀式はあくまで儀式。
遺骨は遺品の一つにすぎない。
義妹は所詮は他人。
「こうあるべき」という執着心、執着に起因する怒りは、無い方が良いのです。
法要は、「こうしなきゃだめ」の減点方式ではなく、「こうしたら気持ち良いだろうな、こうしたら楽しいだろうな」のプラスだけを喜びましょう。
弟さんのことは大丈夫
義妹さんの本心がどこにあるのかわからないからなんとも言えませんが、少なくとも旦那様を亡くされ悲しく、そんな中葬式もあり気を遣いクタクタになっているのではないかと想像しています。
あなたやお母様の存在は気を使う対象であることは間違えないでしょうし、そこにお金のかかることがあるのですから、辛いところなのかもしれません。
納骨については、現在四十九日でされている方が多いです。お墓があるのなら、執着しないために納骨されるのがよいと思います。ここから先は義妹さんにとっては、旦那様がいない生活が当たり前となり、もしかしたら再婚することもあるかもしれません。それも全て受け入れていかなければならないことです。
こうあるべき、こうでなくてはならないという思考、世間体、からは一旦離れて捉えていく必要があると思います。弟さんはすでに亡くなられた仏となります。
苦しみのない世界へと旅立ちました。迷うことも悲しむこともありません。全てを受け入れる大きな器をもつ「いのち」となりました。かわいそうなんて思わなくて大丈夫です。残されたあなたやお母様がしっかり手を合わせてあげていることで十分です。義妹さまがどのような供養をされていくかは私には分かりませんが、どうであっても、あなたはあなたのできることをしてください。
質問者からのお礼
お答えいただき、ありがとうございます。
気持ちよく送り出したい気持ちだったけれども、その通りには行かない怒り。
それも煩悩なのですね。
慰めの言葉が欲しくて、相談したものの、結局、自分に返ってくるものなのですね。
気持ちよく送れたらそれでいい。
今までのしがらみややらねばならないことが沢山ありました。少し離れることにします。
ありがとうございました。
邦元様
助言をありがとうございます。
幼い子供たちと自分を残して夫を亡くし、
葬儀に気を遣ってくたくたになってしまった。
私や母は気を使う相手だから、
それはもう大変だったでしょう。
そんな義妹に寄り添い、慰めの言葉をかけるくらいの度量を持つ必要があった。
義妹が心開くような居心地の良い場をつくる必要があった。
怒りという煩悩を持つ自分がまだまだ未熟でした。
と心を改める必要が私にはあるのでしょう。
母も私も協力したいという気持ち、義妹と仲良くしたいという気持ちを持っていました。
でも義妹は気に食わないと怒鳴ったりしていました。
義母義姉だって気を使ってきたのに。
私たちの存在自体がもう気を使わすのですね。
世間体やこうであるべき思考を持っていた母と私が、結局義妹を苦しませていたということですね。
精一杯気を使ってきたのに、
いつも不満げな顔して、声をあらげる。
結局自分が悪かったのだ。と思うと悲しくてなりません、
私も誰がにすがりたいのに‥。
弟には私ができることをやっていきたいとおもいます。
弟のことは大丈夫だと知って、本当に本当に安心致しました。
ありがとうございました。