父の最期に後悔が残っています
初めてご相談させていただきます。
今年1月に父が亡くなりました。父はもともと「痛い」とか「苦しい」とか全く言わない人でしたが、昨年末に食欲が無くなり心配だったため、病院に行くのを嫌がる父を説得して、救急で診ていただき、そのまま入院しました。
診断は肺がんで肝臓にも転移しており、余命3ケ月程と言われましたが、入院後、2週間で亡くなってしまいました。
父はコロナではありませんでしたが、コロナの関係で病院全体が面会出来ない状況だったため、唯一面会可能な緩和ケア病棟に移していただき、30分だけ面会が叶った翌朝に息を引き取りました。
ようやくこれから面会に行かれると思っていた矢先で、こんなに早く逝ってしまうとも思っていなかったため、もっともっと話したかったことも話せず、面会が出来なかった2週間程、一人で寂しい思いをさせてしまったことが悔やまれてなりません。
また、亡くなる前の日の面会で久しぶりに会った父は、かなり具合が悪そうで、病院という違う環境になったことで、具合が悪くなったのではないか?あのまま家に居たらもっと長く生きられたのではないか?など、正解がわからないことばかり考えて後悔の気持ちが絶えず、なかなか前に進めません。
ただ、父の最期の顔は本当に穏やかで、微笑んで見えたことや、病院の先生や看護師さん達も良い方ばかりで優しくしていただけたことで、やはり入院させたのは正解だったと自分自身を納得させてはいますが、どうしても面会出来なかった2週間の父の寂しさや心細さが頭から離れず、先日四十九日の法要を終えた後も、毎日父に「ごめんね」と謝る日々が続いています。
本当は謝るのではなく「ありがとう」と言い続けたいのですが、どうすれば自分の気持ちに折り合いが付けられるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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すべてが正解です。
コロナ禍はほんとうに不便を強いられますね。うちのお寺の門徒さんからも同様のお話しを伺います。
お父さま、入院して2週間でお亡くなりになられたとのこと、お悔やみ申し上げます。
入院せずに家にいたら、とか様々な思いがこみ上げてくるのですね。お察しします。
お釈迦さまは「生老病死」を四苦と言って人間が通らねばならない苦しみと説きました。そして、それらの苦しみを乗り越えて行くのが仏教の教えです。
真理のひとつには、苦しみ悲しみは自分の心が決めることと説かれています。つまり自分が思い通りにならない事を苦と捉えるのです。これを「一切皆苦」(いっさいかいく)と言います。
コロナ禍で面会が叶わなかったこと、こうすれば良かった、ああすれば良かった、すべてあなたの心が決めています。
私はお父さまは確かに2週間会えなくてもあなたのお気持ちは通じていたのではないかと思います。何故なら、お父さまの最期は本当に穏やかで微笑んで見えたとおっしゃるからです。
お父さまはあなたを恨んでなんかいませんよ。ちゃんと感謝していると思います。
ですから「ごめんね」も言わなくて良いのです。「ありがとう」を伝えてください。
あなたの取った行動はすべて正しいのです。合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、ご丁寧な回答をありがとうございます。「一切皆苦」勉強になるお言葉です。お話し出来たことで、少し気持ちが軽くなりました。これからも父には「ごめんね」ではなく「ありがとう」の気持ちを伝え続けたいと思います。
ありがとうございました。