自分の気持ちの在り方がわかりません
拙い文章ですが読んでいただければ幸いです。
私は一昨作年に父親を病気で亡くしました。
急死でした。
病院に搬送される数時間前、普段と何ら変わらない会話を交わしたのを最後に二度と目を覚ましませんでした。
亡くなった直後は実感もなく涙が出なかったんですが年月が経つにつれ父を思うと涙が溢れ出てくるんです。
何もしてあげれなかった。助けたかった。もっと一緒にいたかった。後悔の念が止まらないんです。
いつまでもめそめそして心配かけたくないのに泣いて前を向けない自分が情けなくて嫌いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏願とは。
お父様が一昨年亡くなられたとのこと、そしてその直後は実感が無かったけれども年月が経つにつれて涙が溢れてしまうのですね。ウチのお寺の門徒さんにも同様のお話を聞くことがあります。
作家で浄土真宗のお坊さんよりも浄土真宗に詳しい故 青木新門さんは命のバトンタッチという言葉を使います。あなたはあなたのお父様から命をバトンタッチされました。
生老病死という四苦は人間が必ず通らねばならない道です。
残念ながら死に方は選べません。私たちは生かされて生きているからです。あなたのお父様は思いもかけず突然の病にて急死されたとのことですが、それでもお父様はご自分の人生を生き切ったのです。
何もしてあげられなかった、助けたかった、もっと一緒にいたかった、という後悔があるのはあなたのお父様への愛情です。
しかし、亡くなった方はお成仏されています。あなたが仏教を信じている方かどうかは存じませんが仏教の目的は亡くなった方は全てお成仏をすることです。
亡くなれば無になるとは考えません。仏様としてあなたを見守ってくださっています。
ですから、あなたがお父様のお墓や仏壇に手を合わせるときに必ずお父様もあなたの事を思ってくださいます。そして、「私はもう仏になったのだから泣かなくていい」とおっしゃっています。
それを「仏願」と言います。文字通り仏様の願いです。仏願とは残されたあなたが幸せになって欲しいという願いなのです。
そして、仏様というものは、あなたが悲しんでいれば悲しい、あなたが辛いときには辛い、あなたが嬉しいときには嬉しい、あなたが楽しいときには楽しい、そう言う存在なのです。
お父様はあなたの側に常に寄り添ってくださっています。ですからどうぞお気持ちを楽にしてお父様に手を合わせて下さい。
合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、時間を割きお返事を書いてくださりありがとうございました。
父を思い手を合わせているとき父もまた自分達を思い寄り添ってくれている。今の私にすごく響いたお言葉でした。
心にある重さが少しだけ軽くなった気がします。
本当にありがとうございます。