供養などは遺された者のため?自己満足?
いつも有難いお言葉本当にありがとうございます。
文字数の関係でタイトルが乱暴な表現で申し訳ありません。
決して他の、大切な方を亡くされた方に向けたものではなく、愚かな私自身のことです。
今回も私が殺してしまった犬ちゃんに関連する件でお言葉を頂戴したいです。
今まで何度も質問させていただいている通り、私は愛犬を殺してしまっています。
不慮の事故などではなく、私の勝手な思い込みなどや勘違いなどから苦しめた挙げ句に死なせてしまいました。
それに気づいたのは亡くなってからで、それまで自分はできることはしたと愚かな勘違いをしていました。
自分のせいで亡くなってからの、今更。
ペット用のお仏壇や仏具セットなどを購入しました。
常にお花やお供えも用意し。
祥月命日には火葬してもらったお寺に行き、お経を唱えてもらいました。
浅ましいことかもしれませんが、あのときにこれらのお金を遣っていれば、と悔やむ気持ちが溢れます。
当時お金を使ってきちんと環境を整えることができたのに、それをせず殺したくせに(なぜかそれで大丈夫と思い込んでいた)
今更になってお金を使って色々しても遅すぎるという気持ちが抑えられません。
あの子にはもう届かない。
このように亡くなってから色々することは、結局あの子のためにはなるわけではなく、遺された側の気持ちの整理のためにあるのでしょうか?
それでも少しはあの子のためになるのでしょうか?
懺悔文や南無阿弥陀仏108回も毎日欠かさず唱えていますが、自分のためなのかあの子のためになっているのかもわかりません。
いつも申し訳ありません。
お考えを頂戴したいです。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全ては同じところに
ご相談ありがとうございます。
あなたが為さっていることは、ワンちゃんに対してでもあり、あなた自身に対してでもあります。
供養の心はいつも廻り渡るもの、そう思っていただければ幸いです。
さらに言ってみれば、こうしてご相談いただけることで育まれる物事への関心や理解の深まり、ここでの遣り取りを間接的にでも見聞きした方々への波及効果など、我々の活動による影響の与え合いは水面に伝わる波紋のように、常に全方向に広がるのです。
良いことでも悪いことでも、世の中はたぶん、そういうことの連続で成り立っているのではないでしょうか。
生き死には背中合わせに、ワンちゃんの為に手を合わせることであなたの心が穏やかになれば、即ちワンちゃんも救われるわけで、そこで共に成仏しているのです。
是非少しでもご安心いただいて、先に旅立たれたワンちゃんを想って、自分の人生を大事に歩んで行ってください。合掌。
質問者からのお礼
TAIKENさま
ご回答ありがとうございます。
プロフィールのお言葉も見させていただいて、有難いお言葉に救われる思いです。
『供養の心はいつも廻り渡るもの』
目から鱗でした。
確かに私自身も、他の方々の問答から共感の気持ちを得たり、それらの質問にお答えしてらっしゃるお坊様がたのお言葉に救われたりしています。
私がこうして質問していることや、TAIKENさまがお答えくださっているお言葉も、きっと他のどなたかが見て、その方のためになっているのだと気づかせていただきました。
まだまだ、愛犬のことは後悔懺悔の気持ちしかなく、穏やかな気持ちになれる日は先になりそうですが、それでも手を合わせ続けます。
『是非少しでもご安心いただいて、先に旅立たれたワンちゃんを想って、自分の人生を大事に歩んで行ってください』
こんな有難いお言葉をかけていただき、本当にありがとうございます。心から感謝しております。
お時間を遣ってご回答いただき、本当にありがとうございました。