愛猫を突然死で亡くしました
愛猫とは一年間一緒に暮らしました。
元々は居酒屋で飼われてた猫でした。
店では、小さいスペースに入れられベニヤ板にペットシーツが置かれただけの劣悪な環境で、痩せ細りストレスでおなかから後ろ足は毛が抜けていました。
気の毒でなんとか助けたい一心で、店主に掛け合い貰い受けました。
家族として幸せにしてあげたいと主人といつも猫に優しく声を掛け寄り添い見守ってました。
10年近く居酒屋から出たことのない猫は見ず知らずの我が家に来て3ヶ月くらい引き籠もっていました。
そのうち夏頃からだんだん打ち解け、呼べは返事をし意思表示をし、遊ぶようになり一緒に寝るようにまでなりました。
愛猫との心の世界が出来つつありました。
愛猫は夏に乳がんを患って手術をしましたが、術後は良好で2週間前の健康診断は問題ありませんでした。
しかしおとといの3月21日、普段と変わらず元気だったのに、
死ぬほんの数分前まで遊び暴れていたのに
急に体調が一変し、人工呼吸も虚しく亡くなりました。
急な出来事でした。
これからだよ、これから幸せを取り戻すんだよと毎日言い聞かせていたのに。
哀れでなりません。
家の仏様の御札にいつも愛猫の幸せを願ってました。
なのに、仏様はなぜこんないい子の幸せを見守ってくださらなかったのか
仏様はなぜこんな悲しい思いを私達に与えるのか
愛猫の幸せを自分の幸せと捉え心の励みとしていたのに今は生きる望みを失いました。
仏様は何故、愛猫や私達をこのような境遇に置かれたのかその意味を知りたいです。
お坊様どうか教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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こんにちは。
お悲しみは如何ばかりかと思います。
私も長年連れ添っている猫がいますが、15年近くも苦楽を共にしているのでコイツに何かあったら正直正気を保てるだろうかと本気で心配しています。
ストレスの大きな環境から救い出してあげてこれからだというのにどうして、というお気持ちもよくわかります。
昔保護した猫が腎臓が弱く、気付いた時にはもう手遅れだったことがありました。悲しみに打ちひしがれましたが、今は「現世では苦難が多かろう」と仏様に救い出されて今頃は浄土で可愛がられているのだろうな、縁があったら毛皮を着替えてまた目の前に現れてくれないかなと願いつつ供養しております。
そうしてまた捨てられて困っている猫がいれば助けてやろうと思ってます。
ふみえ様の前にもまた姿形を変えて生まれ変わって会いに来るかもしれません。
その時には繋がれた御縁と命を大切に、また家族になってあげて下さい。
猫ちゃんと仏様はきっとそういった大事な事を教えてくれているのでしょう。
生命を「飼えない」現実を会得させるためであり、発心のため。
私は生命は飼えないと思います。動物は飼ってもいいけど生命の尊厳までは飼うことはできない。これはわたくし個人の見解です。
うちはお寺なので昔から一般家庭が家庭で飼えないような動物がわいごちゃ状態で当時からすでに多様性状態でした。犬に猫にニワトリに、タヌキにキツネにアライグマ。天井裏にはハクビシン。ハトに孔雀に金鶏鳥。羊もいた時期があったそうです。(どんだけ~)
捨てていかれたり、入り込んできたのもいたでしょう。
先代のおばあさんが動物をとても大事にしておられたので猫だけでも20匹以上いました。ひー。私は猫アレルギーでしたので、当時から同居はしていましたが、今でもネコ毛を吸い込むと目がかゆくなり、くしゃみが止まらにゃいです。
別に仏様ががあなたにそのような状況に置いたわけではありません。この世界の必然の道理によってたまたま猫との出会いがあり、かわいがる心理が生まれ、そこに別れが生じたのでしょう。ですが、それも仏教的に仏の道を歩む上での試練としてうけとめるならば…。
猫の死はあっても、あなたはその猫の死から学び、生き続けなければいけない。お釈迦さまも29歳まではお坊ちゃんだったわけです。生老病死の現実を知り、そこで大きな衝撃を受けて心を成長させようと志したのです。
ですが、ネコも死んでしまう。
ネコちゃんは死によって病気の苦しみからも解放され、人間やいじめネコからも自由になりました。もう、酔っ払い客絡まれたり、煙いたばこや排気ガスを吸うこともなく、どこの場所で爪を研いでもマーキングしても怒られることはないでしょう。
あなたの歩むべき心の向かう先は、猫様との死別によって、そのさまよう子猫のごとき心をより、確かでタフで柔軟で強く優しい心に導くことです。
ある人は人懐っこい鹿がくるとあっちへ行け!と脅かしました。人間を警戒させるためなのです。冷たいようでもそれはやさしさ。ぬくぬく甘々な生命育てであれば弱くなるのが生命。長く生きてほしいからこそ、心は強くならねばならない。あなたも先立たれた猫様の別れを愛ある別れと受け止めて、いつまでも悲しみ続けることなく、自分の心をどんな世界でもタフで柔軟でやさしく生きていけるようにあなたがあなたの心の子ネコちゃんを成長させなければいけません。
あなたの心の子ネコに亡き猫が同化してあなたと共にあゆみ、ともに龍や鳳のように成長することを祈ります。
その子は幸せに生き抜いていかれたのです
拝読させて頂きました。
大切な家族であるその子が突然お亡くなりになられてあなたは大変ショックを受けておられるでしょうし深い悲しみやさみしさや悔やむお気持ちを抱えておられるでしょう。詳細なことやあなたのお気持ち全てはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
その子が心から安らかになります様にと心よりお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
その子は仏様や神様に導かれてあなたのご先祖様に優しく迎えられて心から安心するでしょう。仏様や神様のもとにて一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて心穏やかになり、ご先祖様と一緒に清らかに何の迷いもなく安らかにご成仏なさいます。
その子はご先祖様と穏やかにこれからもあなたや皆様をお見守り続けて下さいます。
あなたのその悲しみや悔しいお気持ちは消えないと思います。その子が必ず仏様や神様に救われて心安らかになります様にと心からお祈りなさって下さいね。そしてあなたのその子への思いをありのままにその子にお伝えなさって下さい、仏様や神様やご先祖様にもお伝えなさって下さい。あなたのお気持ちや思いをその子も仏様も神様もご先祖様も優しく全て受け止めて下さいます。そしてあなたに寄り添いなぐさめて下さいます。
その子は様々な巡り合わせを経てあなたや皆様に巡り会いあなたと一緒に心から幸せに生きたのです。あなたとお会いなさって毎日を穏やかに安心なさって一生懸命に生き抜いていかれたのです。そして与えられた天寿を全うなさって往かれたのです。きっとあなたのことを心から感謝なさっておられるでしょうし、あなたとのご縁を喜びながら今もあなたのことを見守り続けるでしょう。
いつの日かあなたがその天寿を全うなさる時には仏様や神様があなたをお導き下さり、その子がご先祖様を連れてあなたをあたたかくお迎えなさって下さいます。そして共に喜びを分かち合い、一緒に仲良くご成仏なさるでしょう。
あなたがこれからもずっとその子とのご縁を大切になさり毎日を健やかに生きていかれます様に、心おおらかに皆様と一緒に幸せに与えられた命を生き抜いていかれます様にと切にその子に仏様に神様にご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
お言葉、感謝致します。
まだ現実を受入れられず前に進む日が来るのかわかりません。
しかし日常は己にのしかかりこの感情を押し殺して日々を過ごさねばならないと思うと辛いです。
おそらく猫はこの愛猫が最後でしょう。
愛猫は不幸の期間が長い生涯でした。
苦労した分、すぐに辛い事の多い現世に生まれ変わるより極楽浄土でのんびりしてほしいのです。
それを仏様は聞き入れて下さるでしょうか。
ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
お言葉、ありがとうございました。
死を知る事で生を強く意識します。
一年間でしたが愛猫の思い出が蘇り、
そして我が家に来る前の苦しかっただろう日々に思いを馳せるのです。
その分、せめてもう少し幸せな日々を送って欲しかったと悔やまれるのです。
仏様から愛猫へ与えられた天寿なら
仕方ありません。
仏様は全てを知り、頑張った愛猫の御霊は導かれ、苦しみも無く安らかで幸せなら、そしていつかあの世で再会出来るならこんなに嬉しい事はありません。
仏様や愛猫の御霊に心から祈りたいと思います。
ありがとうございました。
丹下覚元様
お言葉 ありがとうございました。
不思議なものですね、愛猫の死を悼み、食事もほぼ取らず泣きくれて昨日まで寝てばかりだったのに思わずクスッと笑ってしまったのですから。
愛猫の死が辛いなら普段通りに食事をし、音楽を聞き、笑ったりするのは不謹慎とか、本当に悲しいならそんな事出来ない筈だ、私の悲しみはそんな短時間で癒える程度なのか?と己に問い詰めていました。
でも、私の悩みに寄り添い一生懸命お言葉を下さったお坊様方の一言一言が心に響きました。
己の置かれた状況は何なのかという思いも解かれ、少し楽になりました。
お坊様方のお言葉を何度も読み返してはありがたく、涙しています。
猫の別れを愛ある別れと受け止めて、悲しみ続けることなく、自分の心をどんな世界でもタフで柔軟でやさしく生きていけるよう‥とありました。
このお言葉、ズシンと心に響き目を覚ませと言われた気がしました。
私も強い心もそなえてこそ本当の優しさといえるのではないかと思うのです。
この愛猫と出会った時に可哀想だけで終わりにするのでなく、店主に怒られようが何されようが絶対に救い出してみせると強い思いで臨んだものです。
まだ横に眠る亡骸とは明日お別れします。
姿かたちが無くなり、この先突発的に悲しみに襲われるかもしれません。
その時はお坊様方のお言葉を読み返したいと思います。
ありがとうございました。