どのような研究者を目指すべきか
自分は研究者をしておりますが、どのような研究者を目指すべきなのか、正しい像を思い描けないで悩んでおります。
例えば、一般的には社会の問題を解決する方法や発明をすることが研究者の使命であり、それが仕事だと考えられています。ただ、そもそもそれらの問題は人間の尽きない欲望から生まれるもので、研究者の仕事がそれを増幅させてきた側面もあります。
世界の真理を探ること自体に価値を見出す方も多いですが、実際に自然を相手に研究をしていると、つくづく自分達は未知の世界に住んでいるだと実感させられます。とてもヒトの寿命と頭で知り尽くせるものではないということは明らかです。
一方で、現実の多くの研究者は日々競争に明け暮れています。他人より多くの成果を挙げなくては職を失う不安がある一方、成果を挙げる事で承認欲求や知的好奇心が満たされる快感の虜になっています。少し考えると、この状況の不健全さは分かりますが、一方で少子高齢化が進む社会状況や、本能的な知的好奇心や欲求の発露が肯定されて来た仕事であることを考えると、これらの制御は難しいものがあります。
私はいま、世間の人が持ち上げるほど、心血を注いで取り組む価値のない仕事なのではないかとは考えつつも、今はそれでも自分なりに出来る仕事はするべきだと考えてやっています。
ただ、ここまで書いて来て思ったのですが、結局多くの人も等しく、何が正しくて何が正しくないのかわからない中で頑張ってるのかもしれません。むしろ、自分として生きることの意味や価値、答えが得られないからこそ、他者の苦しみを知り得るのかもしれません。だとすると、この悩み自体にすでに得るべき答えはあるような、そんな気も少しして来ています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一隅を照らす
前のご質問も見させていただきました。
まず、欲には煩悩的な欲と、それと別に、真理を知りたいとか問題を解決したいという煩悩の少ない、あるいは煩悩ではない「意欲」の二種類があるとお知り下さい。例えば、悟るためには「悟るぞ」とやる気を出して悟るために努力精進しなければならないのですが、これは煩悩の欲ではなく真理探究のための意欲だと仏教では見ます。
釈尊は自分の心の問題の解決だけでなく世間や社会のシステム、世界の環境まで考えて教えを説き戒律を定めていました。1つの宇宙の始まりから終わりまで、終わってからまた始まるまで、体内の細菌や必要な栄養素のこと、などなども含めて明らかに何でも知っていたと思わざるを得ません。
その釈尊の教えが、まず自分の問題を解決して、それから周りの縁者とも仲良くして、そのうえで、心だけででも一切衆生の平安を願いなさい、という立場です。
研究職でも他の仕事でも、真理探究も大事ですが同時に生活の保障がないと落ち着いて研究や仕事ができません。まず生活を落ち着かせることが大事だと仏教では見ます。それは周りの人々との関係にも良い影響を与えます。そのうえで、一切衆生の安寧を願いつつ、自分にできることをやって、自分の生活、周りとの関係、そして世間へのささやかなお返しをすればそれで十分だと思います。仕事をしながら研究に戻ることもあり得ます。
「知る」に関しては生命や世界の法則を知って、自分の仕事としては、何か一つ、世の中にお返しすればよいくらいの気持ちでいればいいと思います。日本仏教では「一隅を照らす」(自分一人分の僅かな灯でわずかな部分を照らすことが自分の仕事だ)と言ったりします。最近ではthink globally, act localyでしょうか。
また、AかBか、百かゼロかではなく、Aが半分、Bが半分みたいにやってもいいのではないでしょうか。人文と違って自然科学では大変かもしれませんが。
優先順位。幸せな研究者に。
人それぞれに人生の優先順位は違うし、年齢やライフステージによっても優先順位は変わっていきます。
また、仏教的に重要ではない世俗のゲームの中の優先順位と、仏教的に重要な優先順位もあります。
たとえば浄土宗では、念仏できる人生であることが最重要です。
念仏さえできていれば、どんな研究をしても人生は合格です。
仮に途中で研究者を辞めても、念仏できるなら合格人生です。
だから安心して、あなたの好きなように、できることをできる範囲でやればOKだと思いましょう。
おそらく、長年続けられる研究というのは、人類の未来に貢献できる研究か、仮にマニアックな内容であってもそれを喜んでくれる誰かがいる研究か、全人類の誰も理解しないがあなた自身が楽しめる研究かのどれかですよね。
いずれにせよ、どうかあなた自身が幸せな研究者になってください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
問題の本質は自分の意欲をいかに保つかという点だったことに気づきました。そして、それは環境とか外的要因の問題ではなく、自分自信の心をいかにコントロールするかという問題でした。
一昔前、特に理工系の研究者は生活や人生を投げ捨てて研究に邁進するもので、それこそが研究者の美徳だという極端な思考が蔓延してたと聞きます(今も割とあります)。ただ、そういう思考のせいで身体や心を壊してかえって研究を続けられなくなった人を知っています。近年日本の科学が停滞し出したのも、思考や心の問題が大きいのかもしれません。
大き過ぎる事や先の事は分かりませんが、まずは目の前の自分の心を整えること、煩悩や欲望に極端に染まらずに生活する事、職場や家族の関係を良くすることは間違いなくやるべき事でやりたい事なんだと思います。そういう健全な生活と仕事の中で、真善美を兼ね備えた価値ある成果を挙げられれば尚良いと思います。そしてこれがお釈迦様が説かれた道なら、いつかあらゆる真理に辿り着けるのかもしれません。万一辿り着けなかったとしても、その時は念仏を唱えてみたいと思います。