怒鳴らず、穏やかに接したい
こんばんは。二度目の質問、失礼いたします。
前回の質問から続いているような内容なのですが、ここ一年ほど、自らの怒りのコントロールが効かない場面が多く、その怒り方もまるで瞬間湯沸かし器かのようで自分でも尋常じゃないと危機感を覚えるほどです。
怒鳴りたくないのに怒鳴らざるを得ず、また怒鳴られた側の気持ちも理解してしまえるぶんその後の罪悪感に苦しむという負のループに捕まっています。
自分ではもうどうしようもできず、現在は医師からイライラを抑える漢方を処方してもらい様子を見ている段階です。
お坊さんがたはさまざまな人と接することが多いかと思うのですが、むろんお坊さんがたも人間。怒りを覚えたりもするでしょうが、怒鳴らず説得(というよりは説法でしょうか)に移行するイメージが勝手ながらにございます。
そういったとき、お坊さんがたはどのようにして怒りをコントロールしお話をされていらっしゃるかをお聞かせ願えたら幸いです。参考にさせてください。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考え方と放出(解放・放流・放散)プライベート空間を大事に
説得はしないですよ。私の場合は黙ります。
怒りが起きたとき、(話にならない)と思ってしまうので、相手から距離を取ります。関わらない。
ただ、付き合っていかなければならない相手なら、距離を上手く測らなければならない。
感情にまかせて怒鳴る(怒鳴ったことはありませんが)のもエネルギーが要りますし、スッキリより罪悪感が残るでしょ。良い結果にはならないのですよね。
全く自分は悪くないのか、思うようにならない相手が悪いのか、自分は絶対に間違いのない完璧な人間なのか…
いろいろ問いだすと、自分も至らないことだらけなんですよね〜「私」って。
感情のコントロールは、相手や周りにぶちまけるより、考え方と放出(解放・放流・放散)するような気持ちです。いろいろなやり方ど、私は気持ちの切り替えをしていますよ。
そして、私はよくやっている、よく頑張っている、私だから出来ている、凄い私、いつも偉い、お疲れ様と、ちゃんと自分を認めて労うの。その繰り返しです。
ちょっと家族と離れた暮らしが出来ればいいですよね。自分のプライベート空間は大事です。愚痴を言い合う、分かり合える仲間とかね。
海に向かって叫べ!
なおさん、はじめまして。質問を拝読しました。
なおさんは、自らの怒りのコントロールが効かず瞬間湯沸かし器のようで自分でも尋常じゃないと危機感を覚えるほどなのですね。
その感覚、私にも身に覚えがあります。
私は10歳で見習い小僧になってから紆余曲折を経て通算40年ほどお坊さんの肩書きを持っています。かといって穏やかな人格か?と言えばそうではありません。端から見れば穏やかな人に見えているかもしれませんが、私自身は瞬間湯沸かしです。
できればなおさんは、どういうポイントで怒りが爆発するのかをよく観察してみてください。とてもピンポイントで怒りのスイッチがあるはずです。私の場合は、”必要のないことを勝手にされたとき”です。相手は良かれと思ってしているのでしょうが、私にとっては迷惑です。迷惑をかけられた上に、誰かに詰(なじ)られるのではないか?と思った瞬間に湯が沸きます(笑)
瞬間湯沸かしになるポイントを知っておくと、スイッチが入っても慌てずに済みます。それでもピンポイントで怒りスイッチを突いてこられたら海に向かって大声で叫びましょう。怒りのエネルギーは大自然が引き受けてくれますから。
怒りのコントロールがきかないことはなおさんにとって暴走列車のようで怖いと思います。でも、暴走列車は燃料が切れたら自然に止まります。海に向かって叫んでスッキリしましょう。
合掌
質問者からのお礼
中村様、中田様ご回答ありがとうございます。
どちらのお話も興味深く拝読させていただきました。中村様の怒りスイッチのお話でおなじような内容に自分だけではなかったと安心いたしました。
自分なりに考えてみたところ、だいたいが「しつこくされる」「望んでもいないことをされる」「否定される」がスイッチになってるのかも、と思いました。
感情が強く表に出てしまうタイプなので、そういうときは中田様のようにまずは自分が黙って深呼吸ができるようになることを目標に少しずつやってみようかと思います。
お二方、お話をしてくださり本当にありがとうございました!