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回向とは

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初めまして。私は仏教について学んでいるのですが、付近に頼れるお寺もなくこちらを頼らせて頂きました。

私は仏壇に向けて読経をする習慣のある家庭に生まれました。(宗派は真言宗です)家族には回向と言って、こうすると御先祖様への供養になり、地獄に落ちた先祖が居ても救われると言われました。
しかし最近になり別の場で聞いた話では、お釈迦様は水に沈む石を例えに読経で他人が救われることは無いと仰ったとの事でした。

お釈迦様も様々な相手に合わせた説法をされたとの事ですが、私は今まで続けてきた事は先祖の為になっているのか今になり不安です。どうかこちらでお坊様方の考えをお聞かせ願えませんでしょうか?

2023年4月11日 13:42

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが救われて欲しいと仏様は回向くださる

ご相談拝読しました。

「回向」のメカニズムについてはhaunohaの回答僧もなさっている藤本晃先生が専門で、論文や著書を執筆なさっています。

それによると回向は古い経典からお釈迦様がきちんとお説きになっているものとのことです。

仏教は基本的に自業自得を説くものですから、回向(功徳を他者に振り向けること)がどう成立するのか不安になるのも無理はないと思います。それに実際にこの目で確認することができないから尚更です。

私は浅学ゆえ、お釈迦様の「水に沈む石を例え」は存じ上げませんが、ご承知のとおりお釈迦様は対機説法をなさるため、どのような状況・能力の相手に説いたのかということが重要です。
ですから考えられるとしたら、あまりにも他者視点であって自分のことが疎かになっているなど、なんらかの執着に気づかせるために、あえてそのように(読経による功徳回向が成り立たないかのように)説いたという可能性がありますし、もう一つ考えられるのは新興宗教が伝統仏教を揶揄するためにデマでそいういう情報を流すという場合もあります。どうぞ情報の発信元にお気を付けください。

藤本先生の著書によると回向のポイントは善行為による善心の共鳴です。もしもご先祖が餓鬼道に落ちてしまっていたら、その先祖を救いたいという善心を読経を縁として強く持ち、その功徳を回向する。すると回向を受けるものがその心に気づいて共鳴して喜び、その喜びという善心によって善果を得るということです。これであれば自業自得の原則にも反しません。

ですからどうぞ安心してこれまで通り回向をなさってください。

一方で自分が主体となる回向は成り立たないと厳しく自らを省みた僧侶もいます。浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。
回向はお釈迦様が説いたものですが、先ほど申し上げたとおりそれは善心によって成立するものです。その純粋なる善心が果たして人間に成り立つのかと問うたのです。親鸞聖人に見えてきたのは「雑毒の善」といって、かならず不純なものが雑(まじ)ってしまう自分の姿でした。誰かを救いたいという純粋性が厳密には自分に成り立たないことを嘆かれたのです。
そこで親鸞聖人は回向の主体を仏様であると受け止められました。仏様が一切衆生(過去現在未来の生きとし生けるもの)に回向してくださるのだと。

そういうことも頭に起きつつ、あなた自身の仏道を歩んでみてください。

2023年4月12日 15:36
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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阿頼耶識でつながっているなら

「回向」のサンスクリット語は、pariṇāmaです。
で、仏教の唯識思想という分野で、識の「転変」のサンスクリット語もpariṇāmaなのです。
唯識思想においては、全ての現象は識(ざっくり言うと心)から生み出されていると考えます。
で、生きとし生けるものは全て阿頼耶識(アーラヤ識)、つまり、私達が普段は認識できない深層心理でつながっていると言えるのです。
喩えるなら、海面に生じては消える複数の波が個々の生き物。全ての波は下の海の水でつながっている。
この識(海の水)を大地(畑)に喩えるなら、私達の日々の行い(カルマ)は種子となって識(畑)に蓄積され、それが時を経て芽を出す。
つまり、原因と結果の絡み合いで識が変化する。これを識の「転変」と呼び、「転変」と「回向」の語源がどちらもpariṇāma。
ちょっと興味深くないでしょうか?
亡くなった先祖も輪廻転生して別の生き物になっており、私達の心(識)と先祖の識が深層(アーラヤ識の畑)でつながっているなら、私達が撒いた回向の種による識の転変の影響が、先祖の生まれ変わりにまで及ぶかもしれない。
端的に言うと、私達が宇宙に善の種を蒔けば、回り巡って他人にも善い影響があるかもね!そうだったら良いのにな!です。
少なくとも、私個人的には、そのような慈悲(他者への思いやり)に共感し、願いを込めることは、悪いことじゃない気がします。

2023年4月12日 19:19
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様
ご回答誠に有難うございます、私のような者にも非常にイメージし易く例えて頂き助かりました。師僧の居ない私は家族に習慣を見習うようにして読経を続けておりましたが、先祖を想う心がその来世に良い影響を与えていられると嬉しく思います。

吉武文法様
ご回答誠に有難うございます。的確に疑問を捉えてご回答頂きまして恐縮の思いです。回向について様々な見解はありますが、清らかな善の一心に近付けるよう日々心穏やかに過ごしたいと思います。

「お経・経典の種類、意味、唱え方」問答一覧

お経を聞く意味とは?

初めて質問させていただきます。 なぜ、耳でお経を聞くのでしょうか?文字ではなく、声に出して読まれるのは何故ですか。 それらはどんな効果があるのでしょうか? お経を読んでいただく際の心構えを教えてください。 葬式や法事など…お経を耳に入れる事は、私にとって非日常の事になります。 一つ一つの言葉の意味はわかるようでわかりません、漠然と「最後は仏様のところに行くんだろうな…」と思いながら、葬式の時は故人に思いを馳せ、時には眠気と戦ったりもしてしまいます。 一昨年、祖母が亡くなりました。祖母の葬式の際、父親は最前列で船を漕いでうとうとしていました。 父親は喪主ではありませんでしたが、祖母の一番近いところに住んでいたので、車を出したり通夜でご遺体と過ごしたり、とにかく疲れていたのだと思います。私は、父がお経を聞いている間に休息が取れているなら、安らかに睡眠が取れているなら十分だと微笑ましくなりました。 しかしそれは私の考えであり、実際には父は「早く終わってくれ」と思っているのかもしれません。 ありがたいお言葉を、故人の前で私たちに聞かせてくださっているのは理解ができます。批判の気持ちは全くありません。 聞く人間により、状況によりお経を聞く気持ちがばらばらになっているのも事実だと思います。(もちろん一人一人が違う視点を持った人間なので当然だと思います。) 長い間、この儀式が続いているということはやはり効果があるからで、一言で済むかもしれない(とても失礼なことを言っているのは承知ですが)ことを、長々とお伝えいただくのはやはり意味があってのことなのだと思います。 タイトルに戻るのですが、どのような気持ちでお経を耳に入れたらいいのでしょうか? 正解というのはあるのでしょうか? ・故人のこと、生死について考えさせられる ・安らげる、眠くなる ・だるいと感じる人もいる ・時間的な拘束で、現世から引き離す(?) ・パワーを感じる ・意味を理解し、有り難がる 全てが正解ならば、それはそれで納得します。 母親が先日難病を診断され、近々お葬式をやるかもしれません。こう言っては悪いのかもしれませんが、唯一無二の葬式ですので、後悔のないようにのぞみたいです。 面倒な疑問かもしれません、失礼だったら申し訳ないです。まとまりのない疑問ですが、ご回答頂けますと幸いです。

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