前向き思考の限界
毎度お世話になっております。三度目の質問、失礼致します。
今回は以前からの質問の地続きとなっているような内容になります。
ここのところ自己と向き合い自分を褒めたり、両親を立てるよう褒めたりすることで調和をはかろうと努力しています。どんな些細なことでもお願い事をしてもらったらありがとうと告げたり、何かをしていたらえらいじゃん、すごいじゃん、と声をかけたりしています。
その成果か、母はここしばらくやらかしが減り、それが自己を守ることにも繋がっています。
しかし、もとより他人、とくに両親から褒められた記憶が薄いせいか、承認欲求がとても強く、自分で自分を認めることで一時は満たされてもすぐに枯渇してしまいます。
自分だってほかから褒められたいのに、というフラストレーションで不満が溜まり前向きにしてみるという目標も度々挫折してしまいます。
もう少し大人になりたいのですが、不器用なこともありなかなかうまく自分を操縦することができません。
どうすれば、自分の中の子どもを暴れさせずに済むでしょうか。いま自分がしている自己分析などでは限界があるため、どうかお知恵をお貸しください。どうぞよろしくお願いします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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嘘にならないように
褒めるという行為は、上の人が下に対して行う行為と言われる側面があります。子供がま親を褒めるというのは、「共感」程度のことでしょう。
そして、前向きになろうとかポジティブにしようとすることには限界があるものです。ポジティブな考えというものは。なろうとしてなるものではなく、結果論であるということです。
素直な今の気持ちを否定することにもなるので疲れてしまうのは当たり前です。
わざわざマイナスのことを口にするのは相手がいるときにはしないほうが良いです。思っているだけなら問題ないですから、共感できそうな時だけ、声にしてあげたらよいですよね。
無理やり褒める事実に上塗りするよりも、事実にノントッピング。
私は以前プラス思考講座などもやっていました。前向き思考、ポジティブシンキング、アファメーション、誉め言葉…、やめました。不自然だと感じたからです。
ネガディブシンキングやマイナス思考、負のリアクションをするよりは、まだよいと思いますが、無理なプラス思考よりはただ黙ってマイナス思考だけをさせないというだけでも心には良い作用が生まれます。事実を直視する。事実を事実のままに。そこに何も加えない。
良く世間でいう、あるがままに、とか♪ありのままに、というのも実はすでに思考・考え・思いの上塗りなのです。
臭いものに別の消臭成分、香料を加えるファブリー〇的なこと、あるいは物事や相手、世界を自分の色に染めるようなスプラトゥーン的なことは、そのままの事実をまず直視していないものなのです。
そのままの事実とは、人間の負のリアクション以前の世界。
ありのままの、あるがままの世界。いや、ありのままとかあるがままとかの形容・名称すらしない世界です。本当のありのままの世界とは、タッチ、突っ込み、塗りたくり、上塗りがありません。
よって、無理やり自分を高めようとか、むりやり前向き思考をしようとすることも一度やめてみることです。やっちゃいけないというワケではありません。
私はまだ本当のありのままの世界、本当の自分の心の子供がお手つきする前の世界を知らないんだなぁという立ち位置・スタートからの心のツッコミをさせない修行がおススメです。
仏道修行、禅の修行とは、「わたし・じぶん・エゴ」を介入させずに、天地自然・大自然・人間の主観なしの公的な目線での心のおさめ、あくしょんです。
たとえば野菜を切るときに、ああ人参、かわいそうに、ばらばらになっちゃって…、なんて思いながら料理するなんていらぬこと。
横断歩道を渡るのに、暴走車が突っ込んでいたらどうしよう…とまよって赤信号になって渡れなくなってしまうようなことは過剰な不安、過剰なお手つき、過剰なツッコミです。
おなじように、内なる相手に対して自分流な思い方でお手つきするというのは事実を曲げてしまう作用が生じるものなのです。内なる世界だからです。本当はそうではないのに「自分流に」思い込んで自分を苦しめてしまう、そんな作用になる。
内なる子供ちゃんも拒絶せず本心として拝む。その本心が本当にほっとするようにものを見る。それが、事実を事実の通りに見ることです。