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吐いてしまいます。

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前回 生きる意味が分かりません。と質問し回答頂きました。とても、為になりました。有難う御座いました。

今回は、吐いてしまいます。

嘔吐が襲ってくるので、自分で吐いています。嘔吐が襲ってこなくても、自分で吐いています。

食べては 吐いて の繰り返しです。
このままでは 嘔吐症になってしまうので その前に辞めたいのですが、それでも自ら吐いてしまいます。

どうしたら、吐かずにいられるのか分かりません。
家族は、自分で吐いていることを知らないです。打ち明ければ、病気だと主人に言われてしまうのが 嫌で言えません。

主人に 最近太ったと言われます。 確かに、自分でも自覚しております。 毎日 言われるので 自分でも気になります。 でも、食べてしまうので 食べた分吐く行為になってしまっているという事もあります。
酷い時は 朝食べて 吐いて 仕事をして 帰ってきて吐いて 夜ご飯食べて吐いてという時もあります。

吐くだけでも、疲れてしまいます。やはり、主人に話した方が良いのでしょうか? 前文にも記載しましたが、吐くことを主人に話すと色々言われてしまうのが、嫌でとても話しづらいです。どうしたら 良いのか悩んでいますか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

太って何が悪い

こんにちはブーデーの丹下です。
大学時代のあだ名はブイヨンでした。
私もあなたと同じような死にたい時期がありましたが仏教に出逢えて今日も元気です。
先日中型のバイクでアクセルをフル回転したのですが100キロに到達しませんでした。重いからです。
それのおかげで危険走行もできず、今日も生きてます。
ブーデーにもメリットもあるのです。
痩せてたら強風にあおられ電信柱に引っかかっていたでしょう。
先日もうどんをこねる時にのってるだけでコシの強いうどんが仕上がりました。太っててよかった。
お風呂も少ないお湯でタプタプです。太っててよかった♡
重いものも軽々運べますよ。太っててよかった♡
多くの女性はCMのスリム女性たちの影響で太ることが罪であるかのように思われています。
スリムな女性の方が男性に好まれると思っていますが、それはビジネス業界の戦略だと思ってください。
身体のスリム美人を目指すよりは、精神のスリム美人を目指すことです。
精神、心のスリム美人とは、人の目を気にしたり、脳内コメント脂肪が多い自分に気づきそれを無くしていく事です。
痩せなきゃ、スリムで居なきゃ、人の目や評価を気にしている「自分ルール」に気づいてください。
それは脳内情報、脳内コメントを相手にしている姿だと知ってください。
情報やコメントは肉体、真実ではありません。
先日私はTVタックルやニュースリーダーに出演しましたが、私の主張がカットされTVを観た人たちから2チャンで誹謗中傷の嵐で100000本の矢が私の体とオケツに刺さっていてもう刺さるところがありません。泣(ToT) 
ですが、私は傷ついていません。他人の評価には屈しません。
何故なら評価する人たちが、私の真実を知らない真実の評価ではないからです。
あなたが恐れているのは、誰からの何の評価を恐れているのでしょう。
評価のために生きるのであれば、自分が誰からどういう評価をされる事が生きがいになるかをとことん追求してみてください。
そうすると自然に世間の小さな評価など気にしない仏道にかなった生き方になるのです。
評価とは風なり 風には実体はなく 掴めるものがない

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様

ご回答有難う御座いました。

自分が、一番に気にするのは見た目です。前は、痩せてました。鬱になってから体重も減り40㌔後半の体重も40㌔になり、自分でも納得する体型でした。
もう、その時点で間違った考え方をしていたと思います。病気で、体重が落ち 顔もコケ 誰がどう見ても 病人の様な見た目でした。でも、その体型がベストだと まだ自分の中で思っています。 だから、吐いたりしているのだと思います。

考えを変えることは、難しい事ですが、太ってしまったのは、仕方なく受け止めるしかない事実です。
心をスリムにして、前向きに生きていきたいと考えます。

hasunohaで、お坊さんに色々相談が出来るので、少しスッキリした気分になります。
有難う御座いました。     合掌

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ