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希死念慮が酷い

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有り難し有り難し 17

神が居るというならなぜこんな不出来な存在を造ったのか。
運動も勉強も人並み以下で容姿は醜悪、何かを始めても失敗続き、やれる事もやりたい事も無い今の人生を終わらせたい。

精神については精神科へと誘導をよく見ますが、今まで会った精神科医は効かない薬を出すだけか人の悩みを嘲笑する様な医者ばかりで関わりたくないです。

2023年4月30日 3:41

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

(´-`*)私があなただったら、きっとこうするんじゃないかなぁというお話します。
ご参考にしていただければあり難いです。
私も昔はあなたと同じで希死念慮?死にたくなるような心理に陥っていた時期もあってね。嫌なこと続いたり、理解者が少ないと他人と関わりたくはなくなる。色々と息苦しい時代がありました。希死念慮?私だったらそういう言葉に置き換えたくはありません。人間誰にでも死にたくなることってあるらしいよ。変にカタい用語に自分の心理を結び付け・リンクするとますます自分はダメなんじゃないかとか思うようになるので、単に心の浮き沈みととらえます。

では、
神が居るというならなぜこんな不出来な存在を造ったのか。
👉以下、引用返信。
(神のせいにはしたくないです。神とは天地自然、宇宙の不可思議なる働き、因縁。人間の心の中にある最高最上の精神作用。私がポンコツなのはいまだ神を他のところに描いて内なる自己の内部の神的はたらき、仏の性質を見出していないからこその、ふてくされちゃっている精神なのかもしれないと考えると思います。私だったら、です。)

運動も勉強も人並み以下。(わたしもです)
で容姿は醜悪(わたしもです。🐷ですが、鏡見ているとき以外、自分の顔なんざぁ見れません。醜悪でもお笑い芸人にゃ人気者もいますよね?顔より才を高める努力をするように心をむかわせましょうよ。隣国なんて整形BE当たり前)

何かを始めても失敗続き(最初はそんなもんっす。私も先日も草刈りで小石が境内に合っちゃこっちゃ飛んでガラスにもヒビが。日々是やらかし、日々是心にヒビ。ですがキズ凹みを治す専門職この世には存在しますわい。🚙)

やれる事もやりたい事も無い今の人生を終わらせたい。
(それは環境をかえることと、自分のふにゃふにゃな心をタフでふにゃふにゃながらに竹のようにフレキシブルにするとよいでしょう。そのためにこそ仏教はあるのよ♡お釈迦様もそこから心の修行がはじまった。あなたも心を強くする修行を志しましょうよ。)
精神については精神科へと誘導をよく見ますが~関わりたくないです。
(私だったら、心の運転法、心のベースを変えます。結局自分の心の運転法が変わらんといくら薬飲んでも根本が変わらん。効かん。だから変わらない。心のアクション、ベースを変える法薬がこそが仏教。歯磨きも美容も心の強化も自分の志次第です。)

2023年4月30日 7:51
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

心は無常(瞬間瞬間に変化する)

心は無常であり、私たちの意識は猿が飛び回るかのように落ち着きなく、妄想雑念が次々にわいてきますね。
特に、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩を伴う妄想雑念は、私たちの悩み苦しみストレスの原因になります。
しかし、心が無常であることが救いにもなります。
どんな悩み苦しみ妄想雑念も、月を隠す雲のように必ず通り過ぎる。
雲は月を隠せても月を壊せない。
妄想雑念の雲が通り過ぎれば、静かなお月さんのような心に還ることができる。
毎日悩んでいても、実は毎秒悩んでいるわけではないのです。
さて、薬で改善しないからと通院をやめてしまう人もいますが、さらに悪化しないためには通院を続けた方が良いかもしれません。
希死念慮が出ているなら命の危険がある状態ですから、他の病気(風邪で言えば肺炎)なら、普段病院嫌いの人でもさすがに病院に行くタイミングではないでしょうか。
耳の痛い話になってごめんなさいね。
でも、医者に対する怒りも必ず過ぎ去る雲だと安心してください。

2023年4月30日 4:34
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

回答者にとって絵文字使って茶化したり、答えになってない答えを書く程度の物なんですね。質問しなければ良かった。
もう人生終わりでいいか。

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