生きる意味が見出せなくなりました
幼い頃からどんなに頑張っても、悪意有る人間に邪魔をされ、心が壊れるまで頑張っても誰も助けてくれません。(精神科通院暦複数回あり。自殺未遂3度)
幼い頃から、神仏は正しく祀り敬っています。
嘘をつかず、他人を苦しめず「悪いのは自分」と言い聞かせ、今ある苦しみは、成長のためのものと辛抱し、51年が過ぎ、他人に尽くし続ける日々だけが過ぎていきます。
今も理解出来ない苦しみを与える物事や人物だけが寄って来て取り憑いて苦しみだけが重なっていきます。
自らの命を絶っても、苦しみを与えている者はどうせ人事で「自分は悪く無い。お前が弱く自分勝手に逃げた」とし、残された家族に苦しみが残るだけですが、今は職場でも、家族にも他所でも相談出来ません。
精神科へ通院しても、薬漬けになるだけで、解決に至らず、生活も苦しいため、費用ももらえません。
もう、どうしていいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦しみの根
仏とは祀りあげるようなものではないですよ。あなたも周りもみんな仏と言えます。
仏教は自分自身の真理真相をはっきりさせること。苦しみとはどこからきているのかをよくよく参究してみると、誰から与えられたものでもない、苦しさは「思えた」という働きの一つに過ぎないことにも気づけます。
そしてその内容を真実だと思い握ることで苦しさは増していきます。
思えるという働きは、握らずそのままにしていると消えていきます。怒りの感情とかもそうですよね。声にせずお手つきしないで静かにそっとしておくと沈んでいたことに気づくと思います。
思いよりも目、耳、鼻、舌、身体から感じた事実、今ここで感じている事実を宝物とし、自分なんてものは初めからなかったという気づきがあると、楽になれます。
理屈や考え方ではなく、感じることからやってみることです。
質問者からのお礼
お忙しい中、私の様な者のために時間を割いて頂き、ありがたい導きをありがとうございました。
未だ理解が及ばぬところがありますが、何度も読み返して正しく理解いたします。