hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きる意味が見出せなくなりました

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

幼い頃からどんなに頑張っても、悪意有る人間に邪魔をされ、心が壊れるまで頑張っても誰も助けてくれません。(精神科通院暦複数回あり。自殺未遂3度)
幼い頃から、神仏は正しく祀り敬っています。
嘘をつかず、他人を苦しめず「悪いのは自分」と言い聞かせ、今ある苦しみは、成長のためのものと辛抱し、51年が過ぎ、他人に尽くし続ける日々だけが過ぎていきます。
今も理解出来ない苦しみを与える物事や人物だけが寄って来て取り憑いて苦しみだけが重なっていきます。
自らの命を絶っても、苦しみを与えている者はどうせ人事で「自分は悪く無い。お前が弱く自分勝手に逃げた」とし、残された家族に苦しみが残るだけですが、今は職場でも、家族にも他所でも相談出来ません。
精神科へ通院しても、薬漬けになるだけで、解決に至らず、生活も苦しいため、費用ももらえません。
もう、どうしていいのか分かりません。

2023年5月2日 22:30

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみの根

仏とは祀りあげるようなものではないですよ。あなたも周りもみんな仏と言えます。

仏教は自分自身の真理真相をはっきりさせること。苦しみとはどこからきているのかをよくよく参究してみると、誰から与えられたものでもない、苦しさは「思えた」という働きの一つに過ぎないことにも気づけます。
そしてその内容を真実だと思い握ることで苦しさは増していきます。

思えるという働きは、握らずそのままにしていると消えていきます。怒りの感情とかもそうですよね。声にせずお手つきしないで静かにそっとしておくと沈んでいたことに気づくと思います。

思いよりも目、耳、鼻、舌、身体から感じた事実、今ここで感じている事実を宝物とし、自分なんてものは初めからなかったという気づきがあると、楽になれます。

理屈や考え方ではなく、感じることからやってみることです。

2023年5月3日 8:09
{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お忙しい中、私の様な者のために時間を割いて頂き、ありがたい導きをありがとうございました。

未だ理解が及ばぬところがありますが、何度も読み返して正しく理解いたします。

「生きる意味」問答一覧

この世に生まれた意味が分からなくなる

普通に生きていて焦燥感に襲われます。 何のために生きているのか分からなくなって、死ぬのは嫌だけど生きているのが苦しいと感じます。 そう思う理由は人と関われないコンプレックスにあると考えています。 人間は動物なので、悩みの答えは生物学とか脳科学にあると思ってよく本を読みます。 生物的には、この世に生まれた意味は「遺伝子を残す」というシンプルなものに行き着きました。 また、人間は社会的生き物なので、社会的にこの世に生まれた意味は「歯車となって社会の役に立つ」といったものだと思います。 どっちも一人で生きていくのを否定し、群れで暮らすことで達成できる目標です。 一方で。自分にはこの世に生まれ、やりたいことが一応あります。絵を描くことです。芸術は自分の内面と向き合う孤独な作業だと感じます。描いてる間は時間と身体感覚が吹き飛んで没頭できる時もあります。 でも、お金にもならず、究極に自分のためでしかない行動をしていると不安になるのです。 生まれた意味、生き物としてすべきこと、役割を放棄しているおまえは存在していたらいけないんだ。誰かと繋がって次世代に貢献しないといけないんだ。人のためにならないお前はだめだ。 そんな気持ちになります。 そのため勉強して人との上手い付き合い方を日々実践していますが、皆がよそよそしくて深い仲になれないと感じてるのが現状です。 この世に生まれた意味は、自分の生きたいように生きるためでしょうか? それとも、誰かの役に立つためでしょうか? 以前に投稿した内容と少し被っていてすみません。幸運にも回答を頂けてずいぶん考えましたが、どうしても辛くて2回目の質問に至りました。 自分の経験は取るに足らない、もっと苦労されている方が大勢いるのだと教えて頂けた気持ちで、改めて自分は弱いことに気付けました。 もしお時間が宜しければお答えいただけるとありがたいです。長文失礼しました。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

生きる意味がなく、絶望の連続です。

こんにちは。 私は、今年で24歳の女性です。 今年4月から、新卒で入社した会社にて、介護業務に努めていましたが、4月末に適応障害となり退職しました。 その2ヶ月後には実家に戻り、安静に過ごしていましたが、常に頭がぼーっと動かないという状態に襲われ、現在まで休養を中心に転職活動をしていました。原因不明で、現在も心療内科に通院しています。 転職活動をしなければならない、という 気持ちはあるのですが、「どこにいっても自分はだめな人間だ」「新しく人と関わることが怖い」「自分には価値がない」「前の会社を辞めなければ良かった」などという思想が巡り、「死にたい」と思います。 ですが、私が死んだ後、親が死亡届を書く 様子や、友人が自分を責める様子、などが 予見され、自死を自制しています。 付加的な出来事ですが、つい最近、好きだった人とも上手くいきませんでした。不幸の連続で、本心では死にたいです。どうしようもなく死にたいです。 この先、私に幸福が舞い降りるとは思えません。既に絶望の数々を目の当たりにしているので、自然死するのに何十年もかかるかと思うと、まるで生ける屍のような気持ちになります。 このような鉛のような気持ちをぶつけてしまい、本当に申し訳ございません。この苦しみは、どこにも行き場所がなく、私の内側で日に日に増幅していってしまいます。 一体どう生きていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

生きている意味も価値も見出だせない

独り身です。この先もずっとそうだと思います。 だからこそ将来のためにお金を貯めないといけないと、頭ではわかっています。 でも私は仕事が上手くいきません。 若い頃は純粋にやりたいことが色々あり意図的に色々な仕事をしてきました。 転職回数2桁を超えた頃、流石にそろそろ転職を最後にしようと決意。 それでも、辞めたくなる理由が出来たりして、更に転職を繰り返しました。 転機となったのが郵便局。 仕事内容も自分に向いていると感じ、人間関係もよく、上司も同僚も全員を信頼できる職場で、パートだけどずっとここで働こうと、ついに終着点を見付けました。 数年後 コロナがまだ今ほど蔓延していなかった時、濃厚接触者に接触したことで2週間のお休みに。 休みがあけたら休んでいた分頑張ろう、と思っていた矢先、在籍の長い同僚からLINEが長文で送られてきました。 戻ってくるな、迷惑だ、みんなそう思っている。 という内容。 上司のフォローもあり出勤してみると、ほぼ全員からウイルス扱いされました。 一番信頼していた方も「風当たりが強いけど我慢してね。ここはチームワークだから」と。 ショックが大きすぎて、Twitterに事のいきさつを書いて、家族に死ぬことを連絡したのが昼休み。 夕方の休み時間、郵便局の屋上から投身するつもりでした。 そしてその時間、死ぬ前に遺書を…と思いスマホを開いたら、Twitterで寄り添うように言葉を書いてくださった方々がいて、大泣きしながら投身はやめました。 それからは短期の仕事を転々と。 郵便局で人間不信になりましたが、短期の仕事では人に恵まれたので、それも治っていきました。 母からは正社員になるようにとずっと言われ続け、漸く正社員の求人に応募。 採用前提という面接で、「職歴汚いのわかってる?汚いね」と笑われ、「真面目そうに思えない」など散々に罵られ、何故かそのまま採用されました。 辞退する勇気がなく入りましたが、仕事内容も人間関係もきつく、毎日苦しいです。 そして今になって郵便局の人達の夢を毎日のように見るようになりました。 しんどいです。 親は75歳。 姉は正社員で家庭もち。 私は散財家で貯金もなく、得意なこともなく、不細工で太っていて醜くて、何も持っていません。 生きている意味が全く見出だせません…。 あの時投身していればよかったとずっと考えてしまいます。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

生きる意味がわかりません。

こんにちは。 いつもお世話になっております。 前から鬱気味のような症状はあったのですが、最近になってまた姿を現すようになりました。家族の悩みが今の8割ほどを占めています。辛いです。実家を離れて一人暮らしをし始めてから、母や父が1人の人間として、他人として見えるようになってきて、ふとしたときに、昔、両親から言われたこと・されたことが自分の性格やしぐさ、行動に繋がり、「自分はこう育ったから、こうなったんだ」「このように育てられてたら、今のようにはならなかった」「将来の自分の子供にはこうさせたくない」などと感じるようになり、昔の嫌な記憶が一気に蘇ります。そのせいか、家族の話すのが辛くなり、鬱状態になることがありました。 私が初めて鬱気味になったのが、高校2年生の3月で、原因は母親でした。進路のことでもめてしまい、当時は母が関わりたくないから逃げているだけではないかとばかり思っていました。あのときの喧嘩した翌日の心の重さは今でも覚えています。体験したことないくらいずっしりと心が重く、結局涙をおさえきれず学校で泣いてしまいました。その日から心は元に戻らず、辛いことや悲しいことがあると、ガラスが一気に割れるみたいに心が壊れます。 高校3年生の時は、唯一相談できる先生を見つけ、先生の所で泣きじゃくるときもありました。高校時代は毎日が地獄でした。人間関係で悩み、死にたくなるときもありました。そして大学生になり、1人になることで少し楽になるかとおもいきや、家族のことで悩み、最近では何か刺激されるとすぐに涙が出ます。今は実家に帰省していますが、母から言われたことでイライラして結局1人で泣いてしまうこともあります。この気持ちの起伏がいつ変わるのかが自分でも分からず、とにかく辛いです。自分の体、心なのに何も分かりません。辛いです。こんな歳にもなって、恥ずかしいし、何より高校時代と同様、辛いのが、自分にとって生きる意味ってなんなのか考えさせられます。答えはでないままで、時間に背中を押されながら生きているって感じです。 うちにはお金もなく、散々母から言われました。それは十分に理解しています。食費を抑えたり、母には迷惑をかけないようにって毎日過ごしてきました。ですが、そんな悩みが大怪我に繋がってしまい、7月に右足を広範囲火傷してしまいました。もうどうやって生きていったらいいのか分かりません...

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ