弱い自分に向き合いたい
私は間違ったことをたくさんしてきました。
人のものを盗む、職場のものを盗む、お店のものを盗む、物を隠す、つく必要のない嘘をつく、ミスを誤魔化す、失敗を他人のせいにする、面倒事を他人に押し付ける、など数え上げたらキリがないほどに幼少期から今に至るまで過ちを犯し続けています。
いずれの行為も、バレるはずがない、バレなければ大丈夫だ、自分は得をしている、という考えが根底にあります。これを書いている今ですら、自分は許されるはずだとどこかで思っています。
自分のした罪を後悔するのは、他人にひどいことをしたからではなくて、化けの皮が剥がれて周りから軽蔑されないか不安になるからです。
行動が変わらないのは、結局自分が変わる気がないからなんだと思います。どうして私が得をしてはいけないのか、私が得をして然るべきだという愚かな考えがこびりついてしまっているのです。
こんな狡猾な自分と決別して、善く生きれるようになりたいと思っています。しかし自分の弱さと向き合うのが怖いです。勇気がありません。
ご助言、お叱りの言葉を頂きたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様があなたを見ていらっしゃいますよ…
あなたは『私が得をして然るべきだ』とおっしゃっていますが、得していらっしゃいますか。その割には悩み苦しんでいらっしゃるからこそ、このハスノハに相談なさっているのではありませんか。つまり精神的に損をしているのが事実ではありませんか。
人のものを盗るのはよくありませんね。その行為を仏教では「偸盗(ちゅうとう)」といって十悪の一つとされています。どうか止めて下さい。ウソをつくのも、もちろんよくありません。
『バレなければ大丈夫だ』…今まで他人様にバレていないのですか。
いえ、もうとっくにバレていますよ。誰にか…「御自身に」です。
昔は「あなたの行為は良きにつけ悪しきにつけ、仏様が見ているよ」と言ったものです。今のお方(子供さん?)なら「そんなのウソだい。大体、仏様なんか信じてないよ」と口答えするのでしょうか…。
私もかつては こんなこと「子供だましの道徳論」だと考えていました。
でも、今ならこの言葉の真意が受け取れます。「私の行為は、他の誰が見ていなくても『私』が見ている」ことを教えているのだと…。
「私の行動が私を規定していく」のです…つまり私とは私の言動によって作り上げられていく存在だということのです。
『人のものを盗む、職場のものを盗む、お店のものを盗む、物を隠す、つく必要のない嘘をつく、ミスを誤魔化す、失敗を他人のせいにする、面倒事を他人に押し付ける』ことをなさっていると、「そんなような」人格となり、「そんなような」人生を生きることになるのだということです。
それを昔の方は子供にも分かるようにと、端的に「仏様が見ているよ」と告げたのです。
そうです…今のあなたを仏様はしっかりとご覧になっています。
だからこそ、仏様は今のままのあなたを許すことはありません。
許せないからこそ、放っておけないからこそあなたを救おうとされます。あなたを正しい道筋へと導いて下さいます。
仏教(浄土真宗)では、そのはたらきを「南無阿弥陀仏」と申します。
仏様はあなたを見ていらっしゃるからこそ、その尊いおはたらきによってあなたの行動を変えていかれます。
その事実を素直に受け止められたなら、あなたは自然と変わっていくことができます。
それが仏様の真実なる、また不思議なるおはたらきであると申し上げます。
どうか、安心して仏様を頼りになさって下さい…。
拝読させて頂きました。
あなたがご自分のお考えや言動についてとても迷っておられることを読ませて頂きました。あなたがその様に迷ってしまうお気持ちもとてもわかる様に感じます。お気持ち心よりお察しします。
あなたにとって本当の得とは何でしょうか?できればゆっくりとあなたの中でお考えなさって下さいね。
あなたにとってご自分にとって本当に大切なことやあなたの為になることとはどの様なことでしょうか?
何があなたを生かして下さり、あなたを人として成長させて下さることなのでしょうか?
あなたがこれからの人生を何を学んで何を目指して生きていくことが望ましいのでしょうか?あなたにとって本当に必要なこととは何でしょうか?
ゆっくりと時間をかけて思い巡らしてみて下さいね。
少しずつあなたの中で答えが見えてくると思います。
あなたがこれからの未来を本当に素晴らしい出会いやご縁に恵まれながらお健やかにご成長なさっていかれます様に、実り多き幸せな人生を皆さんと幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。