老いるということへの不安
1日1日は辛い仕事ですごく長く感じるのに、一週間や1年はあっと言う間に過ぎていきます。
立ちどまって落ち着こうにも、時計は進み、言いようのない焦りに捉われます。
朝起きたとき、また一つ歳をとってしまったと思って憂鬱になります。
社会人になったあたりからずっとこの思いが消えないです。
このままでは気づいたときにはシワが増え、愛する両親や祖母とお別れがきそうです。
とても怖いです。時間を止めるか、今すぐ消えてしまいたいです。
こんな気持ちでいるのは私だけでしょうか。
周りの友人が出産しはじめた頃から、特にこの気持ちが強くなりました。
私は不妊で、治療のため会社を辞める予定ですが、仕事も出産もできない自分により一層焦りそうで不安です。
世の中の人たちは、一体どんな気持ちで日々過ごしているのでしょうか。
また、時が経つことへの不安を無くすにはどうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな風にも動じない。
先の回答僧、野村様同様にお経の一節に「光陰は矢よりも速やかなり…」とございます。
つまり読んで字の如く、時間が過ぎ去るのは矢よりも速いと言う事です。
私も貴女の様に歳を重ねるほど1日、一週間、更には一年が流れる様に過ぎてしまう感覚に陥ってしまう事がしばしばございます。
(実際歳を重ねると時の過ぎ去る速さをより一層感じる傾向にあるみたいです)
又、貴女の毎朝の日課となりつつある「また一つ歳をとってしまった」という心のつぶやき。
まさにその通りで私達人間は生まれたと同時に刻一刻と老い、そして死へと向かっているのです。
それが、この世の生きとし生けるものの真理なのです。
(貴女の様に、いつも頭の片隅に「老い」「死」の存在を意識される事は即ち「生」を大切にする心が貴女の中にあるのではないでしょうか)
ですから、何も怖れる必要はありません。
何故なら、歳を重ねるということはそれだけ様々な経験値がアップし、人間が練られてきた証しでもあるのですから(^-^)
寧ろ、歳をとるほどに得るものが増えるのですから儲けもんです(^-^)
貴女はこれから不妊治療に入られるとの事ですが、周りの出産に気をとられ焦ったり、自分と比較したりしない事です。
比較は嫉妬や妬み、ストレス、自分を見失ってしまう種です。
妊活される上でも母体に悪影響です。
「自分は自分 人は人です」
禅の言葉に
「八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず)」といって八風とは
1利(順調)
2誉(ほめること)
3称(たたえること)
4楽(身心を悦ばすこと)
5譏(人の欠点を見つけて悪口を言う)
6苦(身心を悩ますこと)
7毀(人の悪口を言うこと)
8衰(意に反すること)
これらの八つの風が人の心を煽り立てるから八風と言い、
1~4の風が吹けば喜びの気持ちが生じ。
5~8の風が吹けば落ち込み悲しみの気持ちが生じる。
しかし、この禅語はどの風が吹こうとも動ぜず、いかなる風(何事)も楽しみながら生きる事を意図しています。
「老い」に振り回される事なく、どの様な風にも動じない不動心のお気持ちを持たれ、一度きりの人生、今を大切にお過ごし下さい。
妊活、お身体にご無理の無いように(^-^)
それこそが生老病死。命の在り方です。
プーさま はじめまして。
抱えている不安、拝見させていただきました。
私も30代、日々の生活に追われながら、時間というのはあっという間に過ぎてしまうと気づき、その様な事を考えながら生きております。
「光陰は矢よりも速かなり、身命は露よりも脆し。」(曹洞宗の修証義というお経より)
不思議なことに、それはお経の中にも書かれていることに私は気づき、生きているということの深み、そして人の命の儚さを考えさせられました。
日々、みんなが老いていく。
今、目の前にいる大切な人は「いつかわからない、いつか」に別れを迎えるということです。
そこに気づいた時、現在も未来も、ありふれた日常の「今ここ、この一瞬。」が二度とない時間で二度と戻れない場所でとてもありがたい縁なのだと思えるようになりました。
本当に大切なことに気づかれましたね。皆さんがどう感じて生きていらっしゃるかはわかりませんし、自由です。ただ、一人の僧侶として、プーさまに声をかけさせて頂くとすれば、自分の限りある命、人生の時間を大切に、精一杯、喜怒哀楽に生きてください。
これから妊活に入られ、不安や心配ごとがあると思います。私のような男性には理解、経験できない苦労だと思います。それこそ、愛する両親や祖母との別れに不安を感じているようですが、まだ見ぬ新しい命との出会いというのは「喜び」です。「悲しみ」の反対に用意されているのではないでしょうか。時が経つことには不安もありますが、希望もちゃんとあるはずです。どちらか一方の考え方に偏らないように、気づいていってください。
無事に新しい健やかなる命が授かれますよう、hasunohaを通してお祈り申し上げます。合掌
生かされている私
亀山純史と申します。
私も30歳を過ぎたあたりに、年を取ることへの何とも言えない不安感を持ちました。小学校の頃の一年間は、何と長い一年だったでしょうか。今は、あっという間の一年になってしまいました。それが老いることの表れのひとつなのでしょう。
私たちは「“生きている”私」というよりも、「“生かされてる”私」、「“縁起なる”私」なのです。それは、なるようにしかならない私、つまり、年を取ればシワも出来れば、視力も老眼になってくる私なのです。さらに言えば、そのような存在は、いつ死が来てもおかしくない存在なのです。それを私たちは「そうあっては嫌だ。」と言っているのです。本当は、毎朝、目を覚ませば、「今日もこうして目を覚ますことが出来た。」と感謝する気持ちがなければいけない存在なのです。
時が経つことへの不安は、そう簡単には出来ないかもしれません。でも、“生かされてる”ことへの感謝の気持ちを持って、毎日を生きて行きたいものだと思っています。
以上が私からの回答です。少しでもご参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
野村圭秀さま
ご回答いただき、とても嬉しいです。「時が経つことには不安もありますが、希望もちゃんとあるはず」とのお言葉に気づかされました。子供を授かれるかはわかりませんが、幸いパートナーには恵まれていますので、2人で困難を乗り越えながらも、「今、この一瞬」を大切に、穏やかに歳を重ねていけたらと思います。悩みを聞いてくださり助かりました。本当にありがとうございました。
隆介さま
今回もお返事いただき、とても嬉しいです。隆介さまの教えてくださる禅のお言葉は、毎回とても参考になります。また「いつも老いの存在を意識される事は、即ち生を大切にする心があるのでは」というお言葉に救われました。他にも「歳を重ねるということは経験値がアップする」など、そうやって前向きな言葉に変えてくださると心が少し軽くなります。悩みを聞いてくださって、本当にありがとうございました。頑張って生きていきます、またもし悩んだ際にはアドバイスいただけると幸いです。
亀山純史さま
ご回答いただき、ありがとうございました。悩みを聞いていただけただけでも救われた思いです。亀山さまも30代のときに不安感を感じられたとのことで、自分だけではないと思い、心が少し軽くなりました。“生かされてる”ことが「感謝」に値すること、確かになかなか考えたことがありませんでした。不安感はすぐには拭えないかもしれませんが、その感謝の心をよく思い出して生きて行きたいと思います。本当にありがとうございました。