先週の自殺未遂を経て抜けたもの
先週、自殺未遂を起こし結果として回答して頂いたお坊さんのおかげで生きる事に決めました。まずは感謝を申し上げます。
酷い母親なら縁を切ってもいいと、はっきりと言われて驚きました。現実では誰にも相談出来なかった事で、自分の考えが誤っているのではと迷いもあったのでありがたいことでした。
自殺未遂を起こすまでは意地でも死ぬしかない、これ以上生きても仕方ないと強く思っていて自分の現実に立ち塞がる問題も相まって苦しい思いでした。今も現実の自分を取り巻く状況は変わってはいません(借金、母親との関係)
私は、魂の道というものがあるのなら自分の願いが叶わなければそこで終わることも運命だと考えていました。でも、それは間違っていた…自由が手に入らない運命ならこの命は要らないと思っていた決意さえも間違いだった。自由を手に入れたい気持ちは今も変わらないのに…と。
それでも、今は生きている事に感謝をして、事態を好転させる機会が巡ってくる事を待ちつつ日々を送りたいです。自分が苦しみ抜いた結果、命を断とうとした事の経緯を忘れずに、最後には、自分が望んだ豊かで自由な生活を手に入れる事が目標です。
ただ、自分の中で何かが抜けたような気がおぼろげながらしています。自分の中では「焦り」や「執着」というものなんだろうなと思っています。もしくは自分でもわからない何かが抜けて出ていったような気がしています。
果たして、この抜けて出ていった何かが一体何なのか私は知りたいです。今感じている心の軽さの正体も、一体どういうものなのか…遺書まで書いて死のうとしたが、それでもまだ今生きているこの意味も一体どういうものなのか。
家族:母一人 性格:真面目過ぎる、頭が硬いとは言われた事がある 過去:人生が嫌になり数ヶ月引きこもった後に自殺しようとした。その後も何度か似たような事があった。
母親への怒り、恨み 自分自身への失望 人生の自由が得られない事
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意外とシンプルに、繋がったから なのかもしれませんね。
前回の質問も読ませてもらした。
極限の状態から得た その感覚。意外とシンプルに、繋がったから なのかもしれませんね。
一緒に怒ってくれる人がいたり、心の底を吐き出せたり。
依存する母と、逃げられないと思っていた自分が、そのように生きなくてもいいんじゃないかとの、理解者の存在に、ふっと抜け出せたような気持ちになったのではないかしら。
引きこもるよりも、こうして繋がっていましょうよ。考えを固執するよりも、周りの意見は、あなたを柔軟に逃がしてくれる。
親が子を一番にわかっているとは限らない。
理解者をね、自分で見つけていけばいいのよ。親の都合に振り回されなくていい。あなたの人生なのだから。
悩むなら、ここで一緒に悩んでいきましょう。自分は一人きりだと思わないで。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます、思い返せばこれまでの自分は心の中の闇の部分を吐き出す事も出来ずに積もり積もって、それでどんどん考えが狭まっていったのは実感しています。
繋がりといっても良縁、悪縁もあって、よりにもよって家族でどうして悪縁が残ったんだと否定的になっていっそ世捨て人みたいな暮らしをしたいと望んでいました。今でもそれなりに望んではいますが…以前程ではないです。
この場所を知って、様々な悩みを抱えている人がいて自分と同じような悩みを持つ人もいて、思っていたよりも理解してくれる方々がいる事に驚きと感謝があります。意外と簡単な答えだったのに気付くのはこうも難しいんだなと思いました。今後母親と対立する事はわかっているので、自分の人生なんだからと主張出来るように…主張しきりたいです。
「つながったから」という答えを教えていただいて、重ねてお礼申し上げます。