過去の自分について
こんにちは。初めて質問させていただきます。過去の自分の言動についてです。
私は両親が共働きで、小さい頃から祖母の家で面倒を見てもらっていました。私のいとこも祖母の家で暮らしていて、よく一緒に遊んでいました。祖母の家には祖父の母親の仏壇があって、祖父は毎日その仏壇に手を合わせて供養をするように早口で何か唱えていました。小学生だった私は、その仏壇がある部屋に誰もいなくなった後、祖父の真似をして私も仏壇に話しかけるということをしていました。その時私は、何かしらを話し終わった後、最後に「いとこが早く死にますように」と言っていたんです。仲が悪かったわけではなく、むしろ毎日遊んでたぐらいだったのになぜかそんなことを、覚えてる限りですがしばらくの間毎日言っていました。もちろん本気で死んで欲しいと思っていたわけではありません。その当時は死というものをあまり深く考えておらず、このこと以外でも、何かに無性にイライラして独り言で「死ね」と大声で言っていた時期もありました。(今はそんなことは無くなって、いとことも仲良しです)百歩譲って自分で思っているだけだったらまだ心の中にしまっておけたのですが、身内の死を、しかも先祖の仏壇に願ってしまっていたので罪悪感がすごいです。かと言って、本人に直接言っていたわけではないので本人は知らないですし、仏壇の人に謝るのもなんか違うなと思います。
いまさらどうしようもないのはわかっていますが、どう気持ちを整理したらいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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祈りをささげる
ぱん 様 相談ありがとうございます。
小学生だとまだ、死に対する恐怖や悲しさを認識ているわけではありませんから、気にしなくていいと思います。
「早く死にますように」と言ったまえに、仏壇に向かって何かを話していたんですよね?記憶が薄れているかもしれませんが、おそらく良いことを語っていたんではないですか?お祖父さんの真似をして。
人の記憶は曖昧で、印象に残った方を残し、それをイメージとして増大して心をとらえてしまうのです。良いことを祈っていたかもしれないのに。
ですので、気にしなくていいということと、罪悪感がぬぐえないのなら、今からでも遅くない、従妹さんの幸せを日々祈りましょう。そして、あなたにも従妹さんにも今ある命に日々感謝しましょう。どんな方法でもいいので、あなたなりに祈りをささげてください。この祈りをささげるという行為がやがて、心の温かさとなり、従妹さんに限らず周りの人に伝わっていくのです。
ですので、罪悪感の軽減は、日々、当たり前の日常と幸せを祈り、健康などいまこの命に感謝することです。素直にどうぞ祈ってください。私はそう思います。
でももし、過去の事を後悔して立ち直れないなど落ち込みがひどい時は、誰かに気持ちを相談してください。信頼できる人やカウンセラー・セラピスト・僧侶でもいい。そんな時は独りで抗わずに、誰かに頼ってかまいません。遠慮せずにここにも投稿してみましょう。
参考にしてください。
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。困った時はいつでもメール等でご相談ください。ちょっとしたことでも、気持ちの整理は早く楽になる方がいいので。
ご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
回答して下さりありがとうございます。
あまり気にしなくていいと仰っていただき、少し気が楽になりました。
これからは家族や親戚、周りの人達の幸せを祈って毎日過ごしていきたいと思います。
ありがとうございました。