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子の習い事の先生への嫌悪感

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はじめてご相談させていただきます。子どもの習い事の先生に対してのモヤモヤが晴れず、自分の気持ちの整理が付かなくなっています。どうか客観的なアドバイスを頂けるとありがたいです。

先日、私の行動について先生から注意を受けました。しかしそれは、先生ご本人に許可を取った事です。また「お母さんが家で教えるからここで私の話を聞かない、だから全然伸びない」と急に一方的に怒られました。しかし、1秒たりとも家で教えたことはありません(注意された行動が誤解の元になったようです)

「ぜーんぜんOKですよーっ!」と言っておきながら覚えていなかった事、思い込みでやってもいないことを苛立ちに任せるように急にきつく言ってきたことにとても腹が立ちます。

それまでにも、先週は笑ってた事なのに、同じ事で今週は怒るというような、気分にむらがある事が気になってはいました。機嫌の良い時は保護者の方とお話をしたりして、15分程遅くスタートするということもよくあり、良く言えばゆるく、それはそれでそういう方針で一貫してればいいのですが、突然スパルタになる...

機嫌によって日々違う対応をするから子どもが混乱するというのは間違いなくあります。それを私のせいにし、ご自身を省みることはないんだな、と思うと辞める選択肢もよぎります。

ただ、今は気になる所に目が行きますが、基本はおおらかで褒め上手な先生でしたので、始めてからしばらくは子どもも大好きでした。

気分屋の一面が見えるようになってからは、先生の顔色を伺ったり、一貫性のなさに困惑したり...それでも子どもにとって楽しい時もあり、成長させていただいた所もあるので、子どもが本気で辞めたいと言わない限りは続けようと思っています。

許可は取った、誤解の旨は伝えたので本当は先生ご自身に非を認めてほしいと思ってしまいますが、きっとこの思いがある以上自分の怒りや負の感情は消えないと思います。この思いを手放し、モヤモヤをなくすにはどのように考えたらいいのでしょうか。

また、親である私が先生は指導者としてどうなんだろう...と思ってしまっている状態で子どもが続けたいと言う場合、先生に対してどのような思考でいれば心穏やかでいられるか、ヒントがあれば教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

最後まで読んでいただきありがとうございます。長文失礼いたしました。

2023年5月26日 1:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は永遠にならいごと

そういうケースにならう。まなぶ。
そこで人生をまなぶ、ならう。
そこから、よりよい方向性、活路を見出す。
わざわざ嫌なことを無理してやる必要はありませんが、おかしな人間ルールに縛られるのもよくない。過干渉もよくない。指導者がおかしな人なのに放置するのもよくない。ならばこそ、どうすればいいか。人は人と接する中でよい影響・わるい影響が及ぶことがある。何のためにそれをやるのか。もっと優先すべきことがあるのではないか?心を悩ませてまでそれをして家族で嫌な思いをする必要があるのかどうか。
そもそも、人間はそれぞれ自分のやってきたことしか知らんでしょう。
だから、その先生もあなたもおこさんもみな自分のフィールド、立ち回りのことしか知らない。失礼な態度をしてくる先生も先生・立派な指導者とは呼べんなぁと思ったらさっさとそのならいごとはやめる。お金払って嫌なことを買っているなら時間と労力の無駄。人生無駄なことはないという人もいますが無駄なことはあります。無いわけではありません。すべてが学びです。キッカケ・機縁です。師弟、リード・フォローの関係も相性が悪ければ変えればいいだけです。むしろ変えたほうが良いケースがほとんどです。医者も坊主も(回答僧も)合わなければすぐに変えましょう。(私の話がフィットしなければ即スルーでOK)食生活もそうでしょう。生産者も選びましょう。ファッションだって合わない服を着れば気持ち悪い。なんだってそうなのです。ましてや人間関係はもっと複雑。
同じならいごとでも先生は沢山いるはずです。
お子さんとちゃんと話し合って、お母さんとしてはこういうところがあまりよくないと思うのだけれど…ということを話し合って、そこから別のならいごとの先生に転ずることができるのであればそっちに向かわせるのもよいでしょう。
あるいは、もう少し様子を見て次もおかしなことが続くようであれば、離脱。大丈夫そうならば継続でもよいでしょう。
人生は一生ならいごと。学び。授かり。
自己をならうということは、何をするにもこの身をもちいてやるだけです。
そして、起こることにどう対処していくか。
人間世界はエゴや自己意識でお互い苦しむのです。
おしえ、教導、ならう、明らかにするということは、この自己、自我意識を忘じて人間性・心をより高めていくことです。
「仏道をならうというは自己をならうなり。(道元禅師)」

2023年5月26日 4:48
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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

みんな完璧じゃない

人なんだから
完璧じゃない
みんな同じ環境で育ったわけではないし
みんな毎日穏やかな生活を送れているわけでもない

浮きも沈みもある
ムラもある

勿論何事が起きてもフラットでいられる方が健康的だし論理的で
心がけたい

でもそうも出来ない人は沢山いらっしゃる
自分だってそうなる時はある

だから多少理不尽に思えても
気にしない事です

後から思い返したりして自分の正当性とか
相手の悪い所とか色々考えてしまいますが
それはあまり意味がありません

よほどの事がない限り
気にしないで
多少の問題は
吹き飛ばすくらいの
明るさで接しましょう
それが互いのためです

合掌

2023年5月26日 7:49
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有り難し
おきもち

個別相談可能
山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロップアウトするなど金銭的にも苦しみ多面的な貧困を経験。 それらを乗り越えた事は、今では自身を照らす灯り。 色んな社会的活動をしてますが、 自然の中で遊ぶことが大好きで、子供達に体験活動やイベント、木工教室などを催しております。 お寺では草花葬墓地などの永代供養も宗派問わずお迎えしております。

質問者からのお礼

丹下覚元様
心に刺さるご回答ありがとうございます。熟読させていただき、今思うことを述べさせてください。

1番刺さったのは、優先すべきことがあるということです。

この習い事を通して子どもにどうなってほしいか・嫌な思いをしてまで通う必要があるのか

複雑に考えすぎてしまっていましたが、シンプルな視点で考えると、クリアになっていく感覚がありました。

そして1人で悩むのではなく、子どもと話し合う。そうすると、何を選択するかが見えてくると思いました。

丹下覚元様は、私が「先生が間違ってると思ってること」を否定せず、具体的な方法や気の持ちようを示してくださいました。寄り添ってもらえて嬉しかったです。また今は頭に血が上り、自分の未熟さを棚に上げております。そんな事も見透かされていたかのように「人生はずっとならいごと」だと、冷静に省みることができました。

何を優先するか、子どもにとって何が大切なのかをしっかり見つめ直します。本当にありがとうございました。

丸山晃俊様
このたびは丁寧なご回答、感謝いたします。
自分の正当性や相手の悪いところを思い返してもあまり意味がないというところ、ごもっともだと思いました。考えても答えは出ず、不毛な時間を過ごしていたと思います。

問題は吹き飛ばすくらいの明るさで接せるかと思うと、まだ正直時間が必要な気がしますが、長い目で見た時にそうできる自分でありたいと思いました。気にしないマインドを身に付けるように生活していきます。

このたびは本当にありがとうございました。

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