私の宗派は、選民思想の厭世主義?
いつもお世話になっております。動画サイトで私の好きな、
リテラシーの啓発にも取り組んでいる、少しだけ破天荒な
科学者さんのチャンネルの動画を観ていたら、宗派名こそ
出しませんでしたが、
「この世はクソだから、自分たちは神様的な存在に祈って、天国
的な場所に生まれ変われる特別な存在だと思い込んでいる、
選民思想的な陰謀論者。つまり、異世界転生を本気で信じている
んですよね」
と出演者さんが言っていました。遠回しに浄土宗のことを言って
いるとすぐにわかりました。ショックでしたが、頷かざるを
得ませんでした。
前後編に分かれた、陰謀論に対する注意喚起の動画の、前編の
セリフです。後編では、
「誰からも認められない人が陰謀論者になるのです。認めてくれる
人を見つけましょう。極論、人間ではなく、天の神様でもいい」
とフォローしてくださっていました。
なぜ浄土宗だと分かったのかというと、実際に、浄土宗の
寺院でたくさんそのような考えの人を見、浄土宗公式の
チャンネルの法話でも、
「この世は苦しいことしかない、だから阿弥陀様に祈って、
極楽浄土に行きましょう」
ということしか言っていないからです。
お寺は本山でした。そこでお説教をしている布教師と、聴聞に
来ている信者は皆、
「他の宗派はろくでなし」
「他の仏や経、真言には利益がない」
「この世は汚いから、念仏だけして、お迎えを待つ」
などという考え方でした。怠惰な人たちだなあという印象でした。
これでは、誤解されても仕方がないよな、とも思います。
しかし、hasunohaでたくさんの(浄土宗含む)お坊様と
出会ううち、
「本山の人たちの言う事は、間違った暴論では?」
と思うようになりました。
確かに、この世は思うようにならないことだらけ…「苦」
だらけだと私も思います。
しかし、「死」や「苦」を意識し、世のため人のため、
「利他」行や「布施」行に、あらゆる形で全力で励み生きるのが、
仏教ではないか。そう考えるようになりました。
だとすると、「厭離穢土、欣求浄土」という考えは?先ほどの、
「この世はクソだから…」という思想になってしまうのでしょうか?
それとも、「この世を浄土にする勢いで」努め励もう、という
ことでしょうか?
浄土宗は、選民的な厭世主義なのですか?ご高見を賜りたく
存じます。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
選民ではなく選択本願念仏
誰でも念仏すれば往生できるのだから、選民思想ではありません。
八万四千の法門(たくさんの教え)の中から本願念仏を選択してくださったのは仏様であり、また、無数の教えの中から浄土門を、無数の浄土の中から極楽浄土を選ぶのは、むしろ私たち衆生(民)の側です。
念仏すれば誰でも往生できますが、阿弥陀仏は往生を願っていない人まで浄土に強制連行はなさらないでしょう。
浄土門は厭世的かと言われれば、そう言えるかもしれません。
お釈迦様が亡くなってから2600年近く経過し、娑婆世界は永らく五濁悪世。
娑婆世界は悟りにくい世界であり、私たち自身も悟りにくい凡夫。
だから、悟り易い極楽浄土に往生して、悟り易い菩薩の心身に生まれ変わりたい。
ただし、念仏で心安らかになればこの世での生活も多少は楽になりますから、急いで自害すべきという教えではありません。極端な厭世ではない。
この世を浄土にするような活動をするかどうかは人それぞれです。
私達に、この世を浄土にする能力があるかどうかはわかりませんが、雨が降ったら傘をさすなど、当たり前の苦痛対策は念仏者でも行います。
また、私たちは、念仏の実践を通して煩悩の制御が多少は上手になるかもしれません。
煩悩の制御が上手くなれば日常生活のストレスは減ります。
「こんな私でも阿弥陀様は見捨てない」と思って自己肯定感が上がれば元気になれます。
結局、浄土門はあの世のことばかり考えている暗い宗派ではありませんよね。
むしろ、あの世の心配をしなくて済むようになり、明るく寿命を全うできる教えが浄土門です。
法然さんも親鸞さんも長生きしました。
追記
さすがロータスさんは、予備知識があるので理解が早いですね。
阿弥陀仏の本願念仏以外にも救われる方法はあるでしょうけど、末法の時代の凡夫でも乗れる救いの船として、お釈迦様が阿弥陀仏提案してくださった。
ただ、その船に乗って欲しいという思いが強すぎて過激な説法(他宗の批判)をしてしまう僧もいたのかもしれません。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。
浄土って極楽だけじゃないんですね…極楽だけかと思ってました。
八万四千の法門、ということは、念仏以外にも救われる道がある。
その中から、仏様が
「極楽っていう浄土があるよ。念仏唱えてくれたら、連れて行って
あげられるよ」
と提案してくださり、私たちが、
「じゃあ、念仏を唱えます」
とそのご提案を選ぶということでしょうか。
浄土も救われ方も、たくさんある。その中で、仏様が
お示しくださった手段と、「極楽浄土」を選んだのは、
あくまで私たち。
「念仏しない人を強制連行しない」
ここを、皆さん勘違いしているのです。
「念仏唱えない奴は地獄行きだよ!」
「唱えてても、病気になって薬師如来真言なんか唱えたら、
阿弥陀様から見捨てられるよ!」
などと、嬉々として言っています。
念仏を唱えない方々は、あくまで「別の選択肢」をお持ち。
しかし、説教を聞きに来ている信者たちは、大半の人々がこのように
思い上がっており、布教師も、
「他の宗派は、救われない」
などと平然と言っています。
たくさんの浄土があるなら、死後極楽往生し、極楽での
修行が落ち着いたら、色んな浄土に飛んで行って観光が
したいです。
将来、私は菩薩にしていただくのだから!と自覚を持ち、
それによりこの世での生活に対し引き締めを図り、かつ、
死後の心配をせずに済む。
私は、あの人たちのように魔境に陥らず、謙虚に、過度な
ストレスにならない程度で努力して生きようと思いました。
【願誉浄史 先生】
ご追記いただき、ありがとうございます。お褒めの言葉、光栄
です!でも、マダマダですよ、私は。
これからも、幹部候補生ならぬ、菩薩候補生の自覚を持って、
向学探求、自律自修、紳士体現(女ですが)を心がけたいと
思います。
予備知識は、ここhasunohaの先生方から授けていただいた
ものです。感謝いたします!