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再婚する資格が私にありますか

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こんにちは。はじめまして。
私は24で2年間の結婚生活に終止符を打ち離婚、
25の今来月5月に再婚予定です。
現在付き合って9ヶ月の彼(1つ下の24歳)と
彼の68歳のお義母さんと一緒に暮らして3ヶ月程になります。

彼の家は会社を経営していて今は彼の42歳のお兄さんが社長です。
9年後くらいに私の彼が33歳になる時に社長になる予定です。
そのためお兄さんとお義母さんに結婚を考えているならうちの会社の総務として働きなさいと言われ、私も彼も結婚を考えている真剣交際なので了承し、
来月5月から私は彼のおうちの会社で働くことになっています。
彼も彼のお義母さんやお兄さんは私がバツイチということを気にしていません。
すごく有難いことで感謝しています。

ですが、私の両親はやはり世間体を気にし親として恥ずかしいと思っているようで同棲の挨拶は受けてくれましたが結婚の挨拶に関しては、会わずに
逃げられてしまいました。多分顔合わせも、結婚式も来てはくれません。
私も結婚式はやりたくありませんでしたが家柄が家柄だけあるため、彼側は400人くらいお客様を呼ばなければならないそうで、やらないわけにもいかず・・・私は一度式を挙げているため呼べる友人も親族も両親が来ないという計算で全部で10名ほどです。
とても気が重いのですが彼もそれでもいいから挙げないわけ行かないということで式も挙げるつもりです。

結婚式や経営者という重荷があり負担や彼はこんな私でいいのかと別れも考えましたが、私はそれでも彼と一緒にいたいと思えるくらい存在の大きい彼です。
両親が顔合わせに来てくれなくても、式に来てくれなくてもこんな親不孝で周りに迷惑しか掛けていない私でも彼と一緒になって良いのでしょうか。
私は今不妊治療もしていますが子供が授かれるかも分かりません。
それでも彼はいいと言ってはくれています。
それを信じて着いていきたいという気持ちはあります。

私の人生ですから私が決めるのが一番なのだとは思います。ただこのまま彼と居たいという気持ちだけで両親や周りの目を気にせず自分の好き勝手に結婚してもいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

彼や彼のご家族がそう望んでいるのですから、

再婚する資格はあります。
もう少し自信を持っても良いと思いますよ。

結婚は相手がいることですから、
自分の好き勝手に出来ることではありません。
再婚できるその御縁を有難いと思いましょう。

ただご自身の親御さんには、
最後まで諦めずに説得しましょうよ。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

誰にも止める理由はありません

たまたま前の方とは縁が無かっただけでしょう。
どうぞ彼にとって、素敵なワイフになってください。_(._. )_
彼のお母さんにとってもよくできたお嫁さんになってあげてください。
どうぞお幸せに。
あまり自分を卑下しないでください。
人生に終わりはありません。
妻になっても、母になっても、おばちゃんになっても、お婆ちゃんになっても、人生は一生、精神向上を求め続けていくものです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

安穏寺 丹下 覚元様

ご回答有難う御座います。
ここ数日ずーっとこのようなことばかり考えすぎていたので
丹下 覚元様のお言葉に元気とこれからの希望を持つことが出来ました。
私を選んでくれた彼や認めてくれたお義母さんを大切に素敵な妻、素敵な娘になれるよう
日々前向きに努力していきたいと思います。本当に有難う御座いました。

林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様

ご回答有難う御座います。
再婚というこの縁が私にあるのですから自信を持って彼の奥さんになりたいと思います。
両親には最後まで諦めずに向き合うことも大切にして行きたいと思います。
決して諦めないことが私には足りていなかった気がします。
今後も両親に話をしていつか両親が分かってくれる日がくるまで頑張りたいと思います。
背中を押してくれるお言葉、有難う御座いました。

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