就活がうまく行かずもう全てが嫌です
現在フリーターで就活中の者です。
大学在学中に鬱病での通院期間もあり、1年留年して今年春にやっと卒業しました。
卒業後はフリーターでいいやと甘く考えてました。しかし現在同棲中の彼(彼は同い年で正社員として働いていて、生活費も私より負担が大きいです)との生活のためにも就職するしかないと実感し、就活しています。
先日第一志望の企業に落ちました。
一次、二次面接はトントン進みましたが最終面接で落ちました。何故だか自信があった分、そこからどん底にいるような気持ちで毎日に色がないです。辛いことばかり続いているように感じ、「私よりスキルない人が受かってるのになんで」「私は社会から必要とされてない」など自暴自棄になってしまっています。
就活という辛く苦しいプロセスを経てでないと社会で生きていけないんだと思うと、もう何もしたくなくなります。
私は留年して既卒として就活しているので周りから見たら出遅れてます。みんなが頑張ってた時に頑張れなかった落ちこぼれとわかっていてもです。
でも本当に何もしないと、結局彼から見放されてしまうでしょう。それが最も恐れていることです。
彼は就活中もずっと励ましてくれて、落ちた後も寄り添ってくれる優しい人です。「正社員にこだわらずとも、やりたいことを見つけられるのが一番だから、時間がかかっても気にしないで一緒にがんばろう」と言ってくれたとき、その優しさが逆に辛くて、本当は言ってはいけないと思いつつも、ネガティブな言葉を連呼して、ずっと泣いてしまいました。
その日だけじゃなく、それから1週間くらいは日常のちょっとした辛いことも「就活でうまく行かなかったことを他人のせいにしてるからバチが当たったんだ。私はもう生きてはダメなんだ」などずっと考えてしまいます。
どうしたら気持ちに整理がつくんでしょうか。彼とこれからも生活していくために、私が彼への負担にならないように生きるには、まず何も直せばいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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アンビバレントなままを
矛盾した心を、片方しか表現しなかった、ということの後悔であると読ませて頂きました。「ありがとう、そう言ってくれて嬉しいわ。だけどあなたが羨ましかったの」とか相反する気持ちを両方持っていたのに、後者だけを伝えた。自己同一性とかいう言葉がありますが、理想の自分と現実の自分の二重性を隠してしまったのですね。
これは人間、よく経験していることです。「見せたい自分だけを見せたい」のは自然な姿ですが、「両方とも本音なの」を受け止めてくれるのが、彼氏とか家族という関係ではないでしょうかね。
過去の自分を自覚して批判しているのは良く分かりました。あなたはそういうことができる人です。だからあと一歩、矛盾している両面を、素直に表明すべきでしょう。
「なぜ、あの会社の合格を貰えなかったのか」は、究極分かりません。聞いたところで合格になる訳でもありませんし。「縁がなかった」と片付けるよりないと思います。
ただ、就職については「やりたい事を見つけるのが一番」なのは肯首できますが、「それでなくては就職しても意味がない」とも思いません。私はお寺の生まれで就職に自由はなかったと言い切れますが、「その場でやりたい事を見つけて実現してゆく」事はできていると思います。実際、「何をするか」は選べなくても、「それをどのように行うか」の自由はあると思っています。そしてそれこそが、自分の人生への満足感に繋がっています。
まずは、彼の気遣いへの感謝を伝えることから始めましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。