中絶後の罪悪感や苦しみ
以前にも同様の件で相談させて頂きました。
4人目を中絶後から後悔し、罪悪感や自己嫌悪で苦しい日々が続いております。
今までの妊娠出産において、中絶という考えを抱いたことは1度もありませんでした。
4人目を妊娠し、突然の事で大変動揺しました。
経済的にも余裕がある訳では無いので、3人目が1歳をすぎてからパートですが復職(専門職)し半年が経とうとするところでした。
3人目の出産などもあり、キャリアをこれから築いていきたいと仕事を意欲的に頑張っていました。
また、小学生の子が2人居て、平日土日と習い事も忙しく旦那も夜勤がある仕事のため仕事に家事に育児にと毎日慌ただしいため、4人の子育てを想像しても4人を育てるという自信がもてませんでした。
とにかく今の生活で精一杯で赤ちゃんの事をきちんと考えてあげることができず、自分の人生や今ある生活を優先し結果的に中絶を選んでしまいました。
旦那は中絶に否定的で直前まで同意できないと言ってくれておりました。もちろん直前まで私も悩みましたが、産むという決断ができませんでした。
今思えば、何故今まで選ぶことのなかった選択をしてしまったのか。仕事や育児、お金のこともどうにでもなったかもしれないと、後悔し、何より順調に育てば産まれてくるはずの命を自らの手で奪った、人殺しだと感じ苦しいです。
あの時の自分の考えや思考が、どうしてそうなってしまったのだろうと自分でも自分が信じられません。
元から中絶に対して否定的でも肯定的でもなかったですが、自分が当事者になるということを深く考えることが出来ていなかったのかもしれません。
妊娠により不安定ではあったものの、決断しても中絶後にいつも通りの日々を送れると思っていたのだと気付かされ反省しています。
夫は今でも4人目を望んでいます。前回その気持ちを尊重できなかった自分にも嫌気がさしています。
今回このような結果を招いてしまった自分が、また命を育むことは許されるのか。
それならば、何故産まなかったのだと自分でも思います。
結局は失ってから気づいたことで、一生背負わなければなりません。
この先もしも新しい命を迎え入れるとすれば、それが許されることなのか自分でも分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親の割り切り
失った命は供養すればよいのです。
あなたに罪などありません。
なぜなら、命にとって死など早いか遅いかでしかないのです。
それでももし罪を感じるなら、その分を今生きている子供たちと、将来生まれてくる赤ちゃんに愛として注いであげましょう。
人間、誰もが未体験のことなど真剣に考えられはしません。
体験し、後悔し、悲しんだなら、それでよいのです。
親にとって、心身の健康は義務です。
悲しくとも前を向き、後悔を糧に成長する義務を、子供たちに対して負っていると私は考えています。
だから、罪を数えるのではなく、今手元にある命を数え、大切にしていってください。
あなたは優しい
ぺぺたま 様 相談ありがとうございます。
あなたが命の尊さを思い、自分で判断してしまったことに罪悪感や後悔や哀しみを持ち続けてしまっていること、致し方ないかもしれませんね。人はやはり心の奥で、命の大切を知っているからです。簡単に割り切れないこともあなたは充分にわかっています。あなたは本当は優しく思いやりのある人ですね。
あなたに宿ったお子様は、
「先に次の世に行くことになったけど、後悔はしないよ。お母さんのおなかにいったのは、お母さんがとてもやさしいからです。私想いのお母さんだからこそ、その判断をしたんだと私は確信しています。今度私のお母さんのおなかにはいる子に、とてもやさしいから、安心していきなさいって、自慢しています。私は短い間だったけど、お母さんの赤ちゃんだったこと、これからも誇りに思わせてくださいね。おかあさんありがとう」
って言っているように私は思います。
私のお寺には、慈母観世音菩薩像があります。この菩薩様はこのハスノハで相談に応えているうちに、悲しんでいるお母さんの気持ちを思い供養の為に建てたものです。私の意志で建てたのですが、少しでもの供養と心の安らぎをと願っております。
あなたもあなたなりの方法でいいと思いますが、充分な供養をなさって、先にいかれたお子様に優しさを届けてください。また新たな命は、そのこともよくわかって、あなたの所へやってくるかも知れませんね。
辛い時は遠慮なくまたどうぞご相談ください。