親の二の舞(続・安楽死所望)
前回と似た内容で、申し訳ありません。
親の二の舞を演じるのが明白なのに、生きていく意味があるのでしょうか?
生まれてから今日に至るまでの現実体験を踏まえれば、DNA(遺伝子)の問題であるのは、間違いありません。
具体例を1つ。
「歯茎が、お父ちゃんと同じやなぁ・・・」
初診時に、現在も通院しているかかりつけの歯科医から、言われたセリフです。父も診てもらっていたので、事実なのでしょう。
今、上の前歯がぐらついて、いつ抜けるかわからない状態です。私の歯と歯茎の状態は、その歯科医の「予想した通り」の経過をたどっています。
その他、親の二の舞の具体例には、枚挙にいとまがありません。
ところで、2019年の参議院議員選挙(比例代表)で、政治団体「安楽死を考える日本の会(安楽会)」が、候補者を立てていました。
結果は、得票数26万9,051票(得票率0.54%)で、議席獲得はなりませんでした。昨年(2022年)の同選挙では、安楽会は候補者を立てていませんでした。
日本では、安楽死の問題を議論する雰囲気は、「微塵もない」ようです。
生き方を熱く語る著名人・有識者は、星の数ほどいますが、「死に方」を論じる著名人・有識者は、私の知る限りでは「皆無」ですね。人は、いつか必ず死ぬというのに・・・。
前回の質問文中にも書きましたが、読売新聞社あてに出した投書は、ことごとく「無視」されました。
とっくの昔に、心は折れてます。
体が思うように動きません。
体のあちこちが痛みます。
もともと弱かった心臓も、さらに悪化しています。
身も心もボロボロです。
お金もありません。
何かあった時に、助けてくれる人もいません。
死んでも、白骨化するまで、誰にも発見されないでしょう。
父の七回忌までは、まだ生きている意味もありますが、それが済めば、本当に終わりです。これらを踏まえれば、やはり「安楽死所望」です。
今後の予測がついているのに、それでも、生き続けなければならないのでしょうか?
このhasunohaを、小学館集英社プロダクション発行の本で、知りました。(登録は2019年) かつては、列車で、各地(北海道を除く)を巡りました。 よろしくお願いいたします。
「安楽死所望」の一方で、心のどこかに「死」に対する恐怖心がある。 加齢とともに、親の二の舞を演じる場面が増え、無力感が募る。 受容できない自分を受容できない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
あなたの思いを読ませて頂きました。あなたが生きる意味があるのかとお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。
あなたがその様にお考えになってしまうこともわかる様に感じます。お気持ち心よりお察しします。
あなたは今までも様々な巡り合わせの中で生きていらしたのかと思います。あなたがおっしゃる様な辛い目にあいながら生きていらしたのかもしれません。
とはいえどあなたは決して独りで生きていらしたわけではないと思います。
あなたは今までもそしてこれからも生きることができるのですし、生きる意味や目的もあるのです。
あなたが生きるのに辛いことや孤独を感じるならば様々な方々とつながりを持っていきましょう。身近なところや地域社会の中でつながりを作っていきましょう。地元の町内会や民生委員や社会福祉協議会の方々に連絡なさってみて少しずつ助け合いながら生きてみて下さい。辛い気持ちや苦しいこともおっしゃていきましょう。そしてあなた自身をいたわってあげて下さい。
あなたの人生はあなたの人生です、親の人生は親の人生です。決して同じ人生ではありません。あなたなりの人生を様々な方々とつながりながら生きて下さい、そして与えられた命を生きて天寿を全うなさって下さいね。
あなたがこれからの未来をあなたなりの人生として生き抜いていかれます様に、沢山の方々とつながりながら充実なさって生きていかれます様に切に祈っております。
そしてあなたが天寿を全くなさり、仏様や神様に導かれご先祖様に優しく迎えられて心安らかに清らかになります様に切に祈っております。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お返事ありがとうございます。あなたやお父様やお母様が心から安らかになります様心からお祈りさせて頂きます。至心合掌
また宜しければあなたのお気持ちお聞かせ下さい、心よりお待ちしております。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
回答して頂き、ありがとうございます。
前回の質問は、母の命日に、今回の質問は、父の命日に、それぞれ質問しています。敢えて、この日を選びました。
質問文中に、「父の七回忌までは・・・」と書きましたが、その日まで、あと約1年残っています。
それまでは、やれることはやって、生きていきます。
父の七回忌を終えた後も、状況が変わらなければ、再度同じ質問をするかもしれません。(その折には、またお願いいたします)
ご多忙の折、回答をありがとうございました。