家畜は生きがいってあるの?
質問失礼します。
家畜(豚、牛、鶏)などは、生きがいってあるのですか?
例えば、私達、人間は一生懸命働き、稼いだお金を使って生きてます。
辛い事もありますが、生きてる喜び(生きがいの様なもの)を感じます。
他の生き物も大抵がそうですよね。
働いて、成果を生み出し生きている。
それが、家畜には無いんです。
生まれてきたら餌を与えられて肥えてきたら殺される。←これって生きてて楽しい(生きがいの様なもの)を家畜達は感じるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな成果もあの世には持っていけません
拝
私達人間は選択ができる
とても幸運な生き物です
私は元々在家でして
父は牛飼いでした
私は
いつも鎖に繋がれる家畜を見ておりましたが
不幸に思った事はありません
頭が良い子が居たり
意地悪な子が居たり
優しい子が亡くなった時は本当に悲しく泣いたものでした
私が家畜が不幸と思わないのは
父がとても牛が大好きで
牛舎も清潔に保ち
話しかけて
撫でながら大事に育てていたからです
私も父ほどではありませんが牛が大好きでした
毎日
牛の寝床を掃除して
たっぷりのふかふかの草を敷いて
沢山のふんを一輪車で雨の日も風の日も運んんで牛乳を運んで計測してタンクに入れて
全頭分の寝床のわらを押し切りという道具で切るのが小学生からの私の仕事でした
大きくなるにつれて
あなたと同じ疑問を持つようになったのは
他の人の牛舎の牛達を見るようになってからです
やはり牛飼いを仕事としてしかやらない人もいらっしゃっるので
そういった所の牛達はふんだらけになって
表情は暗く
性格も尖っているものも目立つのでした
同じ牛なのに何か知性の違いすら感じました
この話で私が言いたい事は
特に家畜が不幸というのは偏見だという事です
家畜もまた人間と同じ生き物
関わり合いの中で生きております
関わる人次第で家畜も友達になるし
ただの生産するための奴隷にもなります
例えば卵ですが
日本は世界で一番安いとも言われるようです
なぜかというと身動き一つ取れないケージのマンションで一生そこから出る事がないからです
しかも明かりは調整され1日が2回作られ
ひたすら産ませて
産まなくなったら
断食させて
強制的に限界まで空腹にします
そうすると羽が生え変わり
また卵を生むようになります
多くの鳥は2年も経たぬ内に屠殺されます
気ままにその辺で草を突いて虫追いかけミミズをつついていた彼らは現代では
ケージから出る事も無く一生を終えます
私は一番の敵はそういった事を知らない
または知ろうとしない
人間の無知かと
そう思わずにはいられないのです
単純に幸が不幸か一口には言えない
家畜にも家畜に生まれるだけの
それなりの業がというものがあるのです
良い悪いで片付けようとするのは簡単ですが
それこそ思考停止を生んでしまう原因でもあるのです
とても良いところに目をつけましたね
合掌
素晴らしい回答がすでにあるので、別視点から一つ応えさせていただきます。
あなたは“意志”をお持ちで、それが素晴らしいものだと思っていらっしゃる。
これはよいことだと思います。
しかし、世の中には“意志”のおかげで不幸になった人もいます。
平和に目覚めても、戦争を根絶する力の無い人
平等に目覚めても、差別を根絶する力の無い人
欲望に目覚めても、満たす術の無い人
実は、世の中には“意志”のおかげで幸福になった人より、
“意志”のせいで不幸になった人の方が多いのです。
ですが、“意志”のおかげで幸福になったあなたの様な人は『意志がないなんてなんて不幸な!』と言い出します。
私もそう思ってました。
でも“生きがい”など、そうそう見つかるものではないのです、
「“生きがい”は素晴らしいぞ!みんな、意志を持って生きよう!」と育てられた結果、その“生きがい”が見つからないまま生きる人たちは誰を恨めばいいのでしょうか?
生きがいが見つかるように努力しなかった自分でしょうか?
社会が望むように生きることを教えられ、社会が望むように進学し、社会が望むように結婚し、社会が望むように子供を成し、社会が望むように死んでいく。
それもまた一つの幸福です。
人間をはじめとして、生き物は生きがいなどなくても幸福になれるのです。
生きがい無くしては幸福がない、というのは生きがい中毒に侵された人間が陥りがちな慢心でしかありません。
生き物は、たくさん食べて、たくさん寝て、子どもが出来て種が繋がればそれが最高で、普遍的な大多数の幸福なのですよ。
仏教やほかの宗教にも言えますが、それ以外で幸福になれると思うのは、少数派の思い上がりなのです。
質問者からのお礼
ありがとうございました