hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

家畜は生きがいってあるの?

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

質問失礼します。
家畜(豚、牛、鶏)などは、生きがいってあるのですか?
例えば、私達、人間は一生懸命働き、稼いだお金を使って生きてます。
辛い事もありますが、生きてる喜び(生きがいの様なもの)を感じます。
他の生き物も大抵がそうですよね。
働いて、成果を生み出し生きている。
それが、家畜には無いんです。
生まれてきたら餌を与えられて肥えてきたら殺される。←これって生きてて楽しい(生きがいの様なもの)を家畜達は感じるのでしょうか?

2023年7月16日 18:24

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どんな成果もあの世には持っていけません

私達人間は選択ができる
とても幸運な生き物です
私は元々在家でして
父は牛飼いでした

私は
いつも鎖に繋がれる家畜を見ておりましたが
不幸に思った事はありません
頭が良い子が居たり
意地悪な子が居たり
優しい子が亡くなった時は本当に悲しく泣いたものでした

私が家畜が不幸と思わないのは
父がとても牛が大好きで
牛舎も清潔に保ち
話しかけて
撫でながら大事に育てていたからです

私も父ほどではありませんが牛が大好きでした

毎日
牛の寝床を掃除して
たっぷりのふかふかの草を敷いて
沢山のふんを一輪車で雨の日も風の日も運んんで牛乳を運んで計測してタンクに入れて
全頭分の寝床のわらを押し切りという道具で切るのが小学生からの私の仕事でした

大きくなるにつれて
あなたと同じ疑問を持つようになったのは
他の人の牛舎の牛達を見るようになってからです

やはり牛飼いを仕事としてしかやらない人もいらっしゃっるので

そういった所の牛達はふんだらけになって
表情は暗く
性格も尖っているものも目立つのでした
同じ牛なのに何か知性の違いすら感じました

この話で私が言いたい事は
特に家畜が不幸というのは偏見だという事です

家畜もまた人間と同じ生き物
関わり合いの中で生きております

関わる人次第で家畜も友達になるし
ただの生産するための奴隷にもなります

例えば卵ですが
日本は世界で一番安いとも言われるようです

なぜかというと身動き一つ取れないケージのマンションで一生そこから出る事がないからです
しかも明かりは調整され1日が2回作られ
ひたすら産ませて
産まなくなったら
断食させて
強制的に限界まで空腹にします
そうすると羽が生え変わり
また卵を生むようになります
多くの鳥は2年も経たぬ内に屠殺されます

気ままにその辺で草を突いて虫追いかけミミズをつついていた彼らは現代では
ケージから出る事も無く一生を終えます

私は一番の敵はそういった事を知らない
または知ろうとしない
人間の無知かと
そう思わずにはいられないのです

単純に幸が不幸か一口には言えない

家畜にも家畜に生まれるだけの
それなりの業がというものがあるのです

良い悪いで片付けようとするのは簡単ですが
それこそ思考停止を生んでしまう原因でもあるのです

とても良いところに目をつけましたね

合掌

2023年7月16日 21:07
{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

素晴らしい回答がすでにあるので、別視点から一つ応えさせていただきます。

あなたは“意志”をお持ちで、それが素晴らしいものだと思っていらっしゃる。
これはよいことだと思います。

しかし、世の中には“意志”のおかげで不幸になった人もいます。
平和に目覚めても、戦争を根絶する力の無い人
平等に目覚めても、差別を根絶する力の無い人
欲望に目覚めても、満たす術の無い人

実は、世の中には“意志”のおかげで幸福になった人より、
“意志”のせいで不幸になった人の方が多いのです。
ですが、“意志”のおかげで幸福になったあなたの様な人は『意志がないなんてなんて不幸な!』と言い出します。
私もそう思ってました。

でも“生きがい”など、そうそう見つかるものではないのです、
「“生きがい”は素晴らしいぞ!みんな、意志を持って生きよう!」と育てられた結果、その“生きがい”が見つからないまま生きる人たちは誰を恨めばいいのでしょうか?
生きがいが見つかるように努力しなかった自分でしょうか?

社会が望むように生きることを教えられ、社会が望むように進学し、社会が望むように結婚し、社会が望むように子供を成し、社会が望むように死んでいく。
それもまた一つの幸福です。
人間をはじめとして、生き物は生きがいなどなくても幸福になれるのです。

生きがい無くしては幸福がない、というのは生きがい中毒に侵された人間が陥りがちな慢心でしかありません。
生き物は、たくさん食べて、たくさん寝て、子どもが出来て種が繋がればそれが最高で、普遍的な大多数の幸福なのですよ。

仏教やほかの宗教にも言えますが、それ以外で幸福になれると思うのは、少数派の思い上がりなのです。

2023年7月17日 10:08
{{count}}
有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございました

「動物・ペットについて」問答一覧

願いや想いは祈りを通じて叶いますか?

ご覧いただきありがとうございます。 ある病気(癌)の野良猫のことで相談させて下さい。 私の実家は車で20分ほど離れた山あいにあるのですが もともと何年か前から実家近くにオスとメス猫の野良猫がいました。 1週間ほど前にオス猫が日向ぼっこしていたのですが目の下が真っ赤な大きなケロイド状態みたいになっていて心配になり写真に撮って動物病院に聞いたら癌だと言われました。 地域猫団体に相談して捕獲して治したいことを悩んでいると伝えましたが基本は捕獲器は借せるが基本は一人でやってほしいとのことでした。 なんとか捕獲器は借りてここ1週間頑張ってはみたものの野生に近いせいか思い通りにはいきません。 野良猫の表情は驚くほど高潔な感じで苦しいはずなのに堂々と私を遠くから眺めて近づこうとしません。 実家の老親は認知症もあり一緒に手伝うどころか捕獲器をしまいたがってしまいます。 救いたいと強く思っていましたがエネルギーが続かなくなってきました。諦めようかと思います。 しかしもどかしい気持ちでいっぱいです。 お坊さま 教えてください 祈りは通じますか? せめてその野良猫ちゃんの苦しみが少しでも軽くなるよう祈りたいです。 現実的ではないことは分かっていますが私にはもう祈ることしかできないです。 あの子があまり苦しまずに生を全うできるよう祈り方をお教えください。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

新しいハムスターのお迎えについて

こんばんは。 去年までハムスター3匹と暮らしており、みんな立て続けに寿命で亡くなってしまいました。 はじめてお迎えした子が亡くなって1年経ったこともあり、やっと少し落ち着いたため新しい子をお迎えするか悩んでいます。 ただ、私はあの子たちとずっと暮らしたいと思っていたので、新しい子をお迎えすることで前の子たちの代わりみたいにしてしまうのがすごく嫌で迷ってしまいます…。(代わりだとは思っていないのですが、なんだかそういう気持ちになります。) また、元々あった3つのゲージも、床材の掃除はしましたがいまだに片付けることが出来ず、元あった位置に置いてあり、そのゲージを消毒して新しい子に使うのもなんだか嫌で…。 新しい子を迎えることで前の子たちの記憶が薄れてしまうのではないかとも思って怖くなります。 お迎えしたら絶対に今までの子達と同じように可愛がる自信はあるのですが、まだ自分の中で受け入れられきれていないのか、"寂しいからお迎えする"とかこんな気持ちのまま新しい子をお迎えしてもいいものか…と色々考えてしまい、なかなか踏み出せません。 いつも元々いたハムスターたちに「君たちが世界で1番好きだ」と伝えてました。 新しい子をお迎えすることで、この気持ちが嘘になってしまうのではないかとも思ってしまいます。 やはり、きちんと気持ちに整理がついてからお迎えを検討した方がよろしいでしょうか?

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

人として最低なことをしました

どんなことを書き連ねても言い訳をしてるようにしか聞こえないのでなるべく端的に書きます。 家に迎えて間もない子犬を手放す選択をしました。 私は幼少期からアレルギーがあったことから、犬を飼うことや触れ合う経験すら少ない人生でした。しかし、大人になってから症状が和らいだこともあり、アニマルカフェやペットショップに行って動物たちに癒されてました。 夫や子供たちが犬を飼いたいと言っている中、ある日トントン拍子に子犬を飼う方向に話が進みました。いつも拒んでいた私も、「この子なら大丈夫かも」と淡い期待を抱いてしまったのが過ちでした。 きっと私はアレルギーなんて関係なく動物を飼うこと自体に適正がありません。もちろん、犬を虐待するなんて考えられませんし、お迎えした子はとても可愛かったです。 逆に、大切にしたい気持ちや幸せにしなければいけないという気持ちが強すぎたのか、そのプレッシャーに押し潰されそうになり不安が大きくなってしまいました。 犬は私にとって特別です。飼い方や躾についてもたくさん勉強しましたが、それらをしっかりできないと飼い主失格だし、世間の愛犬家さんたちに見張られてるという気持ちになりました。 飼うことに決めた日から不安で勝手に涙が出るようになり、お迎えしてからもそれは変わりませんでした。夫には何度も相談して、その度に前向きに考えられるようになったり、また不安に襲われたり、二重人格のように感情や発言もコロコロ変わり、完全に情緒不安定になりました。 結果的に、里親様にお譲りすることになりました。絶対幸せにしてくれると確信できる方と出会うことができ、あの子は今ごろ里親様と穏やかにのびのびと暮らしています。(今後も連絡や会いに行く事を歓迎してくださる方でもあります) ただ、自分を責める気持ちがおさまりません。毎日「無責任」「非常識」「最低な人間」と頭をよぎります。誰一人責めてきませんが夫や子供たちにも申し訳ないです。振り回してしまった分、もう夫にも犬については相談しづらいです。 私ってこんなに弱くて非情な奴だったんだと絶望を感じます。犬も飼えず投げ出すなんて人でなしです。 たまにまだ服についてるあの子の毛を見つけ、悔悟の念で涙が滲みます。 この先もずっとこの過ちを背負う覚悟です。動物はもう飼いません。 私は自分の起こした事実とどう向き合っていくのが正解でしょうか。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ