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生き物の死

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

生き物の死についてよろしくお願いします。
飼い猫が小さなツバメの赤ちゃんを捕まえてきました。飼い猫は、外に出さないように小さい頃は心がけていましたが、出たがり結局いまは家の周りで遊ぶようになっています。
そして、納屋にツバメが巣を作ってくれていたのですが飼い猫が捕まえてしまいました。本当に申し訳なく思い、飼い猫を外に出さなければこの子は大きくなり巣立っていけたのかと辛くなります。しかし、同時に飼い猫が外で日向ぼっこなどしたり楽しそうにしているのを見るのが好きです。猫の本能で狩りをするのは仕方ないですが、野生の生き物を犠牲にしているのを目の当たりにし、申し訳なく思います。生き物の世界は厳しいとはいえ、可哀想で見たく無いと思ってしまいます。飼い猫を遊ばせたいけれど、生き物の犠牲は見たく無いという自分の甘い考えが嫌です。全ての生き物が幸せに成長し、一生を過ごして欲しいと願うのですが難しいでしょうか。駄文ですみません。

2023年7月19日 23:13

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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都合越しに物事を見るとそうなる

生き物は生き物を食し生きています。これは反応で仕方がないこと。生き物を食べなければ生きられないようにできているから仕方がないことです。

そこにエゴが働くと、動物は食べてはダメ植物は良い。魚や鳥はOKなどさまざま理屈をつけてこれは良いこれはダメとやっている。人間の考えこだわりの話です。命をいただくことで生かされる。これが自然の摂理です。

蚊が飛んでいた、ゴキブリが通りがかったのを見かけた、雲が巣を張っていた、こうした時に無条件に迷いなく殺しているのも人です。蚊を退治して良し!やった!と喜んでいる人もいる。

人間の都合というフィルター越しに物事を見ると、良し悪しが出てくるのです。猫ちゃんがそうしたということがあった。仕方がないことです。誰が悪いわけでもないです。

2023年7月20日 6:22
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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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避けられない殺生の分、生命を大切にしていくことが大切

みむさん、こんにちは。

猫ちゃんのツバメ殺生に心を痛めているのですね。辛い体験でしたが、殺生は、個々の動物が生きるためにしなければならない現実です。亡くなったツバメもたくさんの虫を殺して生きていました。生き物は自分の生きるための分だけは他の命を奪って生きていくのです。ただ動物の殺生は殺すだけでなく、自分の命に足して生きていくともいえます。生命を頂いた分、自分を強く生きていく。それは人間も同じです。ただし人間は無駄に殺生をしてしまう行動もとってしまいます。そういう自分を見つめる必要はありますね。生きるための正しい殺生があります。生きるために必要な事です。その分、生き物を生かす殺生があります。それが「不殺生」です。仏教の不殺生戒は、ただ単に生き物を殺すなという教えではなく、生きるモノの命を大切にしていくという積極的な意味があります。

ぜひ、みむさんも単に悲しいという殺生に拘るのではなく、生きている方々が幸せになるお手伝いをどんどんしていきましょう。それが本当の生き物を大切にする。猫ちゃんを大切にするという意味になります。

2023年7月20日 7:34
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おきもち

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質問者からのお礼

お返事、ほんとうにありがとうございます。
苦しかった思いが落ち着きました。単に悲しむだけでなく自分はそういう世界に生きている、生き物の生と死の中に自分もいると感じました。誰が悪いわけでない、ほんとうの意味での命を大切にするということを気づけた気がします。
ありがとうございました。

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