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生き物の死

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生き物の死についてよろしくお願いします。
飼い猫が小さなツバメの赤ちゃんを捕まえてきました。飼い猫は、外に出さないように小さい頃は心がけていましたが、出たがり結局いまは家の周りで遊ぶようになっています。
そして、納屋にツバメが巣を作ってくれていたのですが飼い猫が捕まえてしまいました。本当に申し訳なく思い、飼い猫を外に出さなければこの子は大きくなり巣立っていけたのかと辛くなります。しかし、同時に飼い猫が外で日向ぼっこなどしたり楽しそうにしているのを見るのが好きです。猫の本能で狩りをするのは仕方ないですが、野生の生き物を犠牲にしているのを目の当たりにし、申し訳なく思います。生き物の世界は厳しいとはいえ、可哀想で見たく無いと思ってしまいます。飼い猫を遊ばせたいけれど、生き物の犠牲は見たく無いという自分の甘い考えが嫌です。全ての生き物が幸せに成長し、一生を過ごして欲しいと願うのですが難しいでしょうか。駄文ですみません。

2023年7月19日 23:13

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

都合越しに物事を見るとそうなる

生き物は生き物を食し生きています。これは反応で仕方がないこと。生き物を食べなければ生きられないようにできているから仕方がないことです。

そこにエゴが働くと、動物は食べてはダメ植物は良い。魚や鳥はOKなどさまざま理屈をつけてこれは良いこれはダメとやっている。人間の考えこだわりの話です。命をいただくことで生かされる。これが自然の摂理です。

蚊が飛んでいた、ゴキブリが通りがかったのを見かけた、雲が巣を張っていた、こうした時に無条件に迷いなく殺しているのも人です。蚊を退治して良し!やった!と喜んでいる人もいる。

人間の都合というフィルター越しに物事を見ると、良し悪しが出てくるのです。猫ちゃんがそうしたということがあった。仕方がないことです。誰が悪いわけでもないです。

2023年7月20日 6:22
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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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避けられない殺生の分、生命を大切にしていくことが大切

みむさん、こんにちは。

猫ちゃんのツバメ殺生に心を痛めているのですね。辛い体験でしたが、殺生は、個々の動物が生きるためにしなければならない現実です。亡くなったツバメもたくさんの虫を殺して生きていました。生き物は自分の生きるための分だけは他の命を奪って生きていくのです。ただ動物の殺生は殺すだけでなく、自分の命に足して生きていくともいえます。生命を頂いた分、自分を強く生きていく。それは人間も同じです。ただし人間は無駄に殺生をしてしまう行動もとってしまいます。そういう自分を見つめる必要はありますね。生きるための正しい殺生があります。生きるために必要な事です。その分、生き物を生かす殺生があります。それが「不殺生」です。仏教の不殺生戒は、ただ単に生き物を殺すなという教えではなく、生きるモノの命を大切にしていくという積極的な意味があります。

ぜひ、みむさんも単に悲しいという殺生に拘るのではなく、生きている方々が幸せになるお手伝いをどんどんしていきましょう。それが本当の生き物を大切にする。猫ちゃんを大切にするという意味になります。

2023年7月20日 7:34
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質問者からのお礼

お返事、ほんとうにありがとうございます。
苦しかった思いが落ち着きました。単に悲しむだけでなく自分はそういう世界に生きている、生き物の生と死の中に自分もいると感じました。誰が悪いわけでない、ほんとうの意味での命を大切にするということを気づけた気がします。
ありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ