「謙虚」を演じるのはつらい
現在大学4年生です。先日、母校で教育実習に行ってきました。
私は世間ではレベルが高いと言われる大学に通っているのですが、「お高くとまっている」と思われるのが嫌で、とにかくひたむきに頑張りました。
積極的に生徒の中に入ってコミュニケーションをしましたし、先生の雑用を積極的に自分から手伝ったり、毎朝玄関に立って挨拶もしたりしました。授業後はご参観いただいた先生からひたすら改善点を聞きまくりました。
その結果、沢山のことを学べましたし、生徒とも仲良くなりとても楽しかったです。そして、教育実習が終わったときに色々とお褒めの言葉を頂いたのですが、その内で「とても謙虚で勉強熱心で〜」と言われた言葉がモヤモヤと心に残ってしまいました。
私は本当は謙虚なんかではなく、傲慢で、自信家で、そして何よりも怠け者です。今の大学に入れたのも運(と僅かばかりの才能)がよかっただけで全然勉強してません。
謙虚に振る舞っていたのも、高学歴を傘に着て調子に乗っていると思われたくないとか、こういう態度なら周りからのウケがいいだろうという打算の結果です。自分の授業の良くない点を沢山聞いていたのも、勉強熱心だからではなく、自分の良い点は自分でよくわかっている(と思い込んでいる)傲慢さのためです。
「謙虚で勉強熱心で」と言われ、とても空虚な気持ちになってしまいました。嘘をつくのは苦手ではない方だとは思いますが、嘘をつくことが好きではありません。
何か先生を騙しているような感じがしてモヤモヤしているのと、本当の自分のことを意外と先生も知らないことに寂しさを感じたのだと思います。
やはり内と外で振る舞いを変えることができるのが大人になるということなのでしょうか。意外と生真面目な性格なのか、私にはとても苦しく感じました。
この感情にどう向き合うのがよいかわかりません。よろしくお願いいたします。
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外と内は違う事が当然だから、ストレス開放を!
柏原さん、こんにちは。金剛座寺住職の染川智勇といいます。
検挙ではないのに、検挙と褒められるのが、嘘をついているようでつらいのですね。最後に書かれているように、大人になれば、社会の中では真面目な生き方を演じなければならない事はたくさんあります。自分が自分がという気持ちは誰でも持ち合わせています。でもそれを全員が出してしまうと対立ばかりになり、社会は成り立ちません。だから自分を我慢して相手に合わせなけれならない事は、社会では当然の事なのです。でもそればかりでは、ストレスが溜まってしまいます。でもみんな聖人君子ではないからすべてできるわけではありません。それができるのは仏さまだけです。
プライベートでは、その抑圧された心を開放させる事も大切です。だから趣味やスポーツがあるのです。その抑圧と開放のバランスの中で、人は生きていかなければならないのでしょう。
ただしストレス開放の方法を間違えると大変な事になります。放火魔なんかがその例です。柏原さんはどのように今のストレスを消化できるか。自分らしさを一番発揮できる生き方を見つけていきましょう。
大人とはそんな大変な社会で生きているのです。合掌
質問者からのお礼
お返事いただきありがとうございます。
確かに思い返せば実習中はうまく息抜きができていなかった気がします。ただ頑張るだけではなくてうまくストレスの開放ができるように意識してみます。
質問をして自分で気づかなかったことに気がつけました。本当にありがとうございます!