普通のことが難しい
私は持病があるため仕事すらまともに出来たことがありません。体調が悪くなると仕事に行くのが精神的に辛く、すぐ辞めてしまうのです。
夫からは「甘えるな」とか「そんなちっぽけな悩みで」とか「ダメだな本当に」などと言われます。正論だとは思うのですが、正直持病を隠して普通の企業で働く私にとってこの生活は身の丈に合わずキツイのです。
本当のところを言うと仕事なんか辞めて死んでしまいたいです。その方が夫婦間のギスギスとか、仕事で悩んだりとかそんなことしなくて良くなるので。
夫との言い合いが怖いので仕事は恐らく続けるとは思います。この生活をもうしばらく耐えられるよう何かご助言いただけないでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
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ケンカなんてしたくないのにね。優しさを向けてくれたらね。
一番そばにいる夫さんが、無理解なのは悲しいわね。病に苦しみ、仕事をすることさえ困難なのに…ちっぽけだなんて軽んじられたら、もう生きていくことさえ、しんどくなってしまいますよね。
ギスギスして、言い争いになるのね。本当はケンカなんてしたくないのにね。もうちょっと優しさを向けてくれたら、気持ちも和らぐのにね。
あなたのことを想うと、耐えるような生き方ではなく、身体に負担のないように生活を選んでほしいわ。パートやアルバイトではダメなの? 体調に合わせて、シフトを組めるようなお仕事のほうが、合っているのではないかしら。倒れるようなことがあっては大変よ。
夫さんにも理解をしてもらえるように、病院で診断書を書いてもらいませんか。甘えるなとか、表面だけで判断せずに、医師の判断を仰ぎましょうね。
ハスノハでは、お話を聞かせてもらうしかできず、もどかしいわ。いつでも、気持ちを休めにきてね。あなたを、さすってあげたいわ。もぅ、十分に頑張っているわよ。
持病を抱えながら働く苦しみと、心を守る耐え方
あなたの状況は、仏教でいう「病苦(病の苦しみ)」と「怨憎会苦(好ましくない状況と離れられない苦)」が重なっています。持病を隠して働くという日常は、体への負担だけでなく、周囲の理解を得られにくいという精神的な孤立も伴います。まして、身近な存在である夫から厳しい言葉を浴びると、心の逃げ場がなくなってしまうのは当然のことです。
1. 「甘え」ではなく「条件の違い」
夫の「甘えるな」という言葉は、健康であることを前提にした価値観から出ている可能性があります。仏教の「縁起」の教えでは、すべての行動は条件によって成り立ちます。あなたの体は、健康な人とは異なる条件を抱えており、その中で働くのはすでに大きな精進です。条件の違いを理解しないままの正論は、人を追い詰めるだけであり、あなたの価値を否定するものではありません。
2. 耐えるための「小さな安息地」
今すぐ環境を変えられないなら、せめて一日の中に「安息の隙間」を作ることが大切です。
・通勤前後に短い深呼吸や瞑想を取り入れる
・体調が良い日に、ほんの小さな楽しみ(好きな音楽や香りなど)を用意する
・「今日はここまでできた」と小さな達成を記録する
これは逃避ではなく、心の電池を少しでも充電するための修行の一つです。
3. 言葉の衝撃を和らげる
夫の言葉を真正面から受け止めると、心に深い傷が残ります。仏教では、他人の言葉は「風の音」のように受け流す工夫も説かれます。
例えば「この言葉は夫の価値観の反映であって、私の価値ではない」と心の中で唱えるだけでも、少し距離ができます。
4. 「死にたい」気持ちが出た時の合図
もし「死にたい」という思いが強くなったら、それは自分を責めるためではなく「助けを求める時の合図」と考えてください。信頼できる友人や医療機関、カウンセラーに早めに話すことで、孤立感は和らぎます。あなたの存在は、決して「夫婦のギスギス」や「仕事の不安」だけで測れるものではありません。
結論です。
持病を抱えて働くことは、外から見える以上に大きな修行です。今は環境を変えられなくても、「一日を少しでも軽くする工夫」と「言葉を受け流す距離感」を持つことで、耐える力は増します。そして、あなたの命は、この苦しい時間を生きるためだけのものではないことを忘れないでください。
合掌
質問者からのお礼
お恥ずかしながらパートすらまともに出来ない私なのですが、お坊さんの優しいお気持ちに少し心が救われました。ありがとうございます。