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夫の浮気

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有り難し有り難し 67

主人とは仕事で離れることも多く、今回5ヶ月ほど離れており、その間会えたのは一度だけでした。
会いに行くこともできましたが、下の子は赤ちゃん、上の子は飛行機が怖く、大泣きして大変なため、一人で二人を連れては難しいものがありました。
主人はもともと、あまり連絡をくれない性格なため、離れてる間も、ラインをしても既読スルーがおおく、電話もほとんどできたことはありませんでした。
先日、かえってきて、荷物の整理をしてもいいと言われたため、片付けていると、女性からの手紙を見つけ、それには、私に特別優しくしてくれてありがとう、いろんな場所にデートした思いでなどかかれており、とてもショックをうけました。
主人はどこかうわのそらで、携帯を見せてというとあっさりみせてくれて、そこには、彼女との毎日毎晩何通ものラブラブなメール、そして、体の関係もあったこと、また必ず会おうとのメールがやまほどありました。

主人に私になにかいうことないと聞くと、なにもないといわれ、このメールは冗談でしてたメールだからとキレられ、しかししばらくするとあっさり浮気を認めました。
寂しかったから、出張先でのいやしだったと。

私は、いま住んでる場所に身内はおらず、一人で毎日二人の小さな子供を育て、パパに会いたいと泣く我が子にがんばろうねといいながら、頑張ってきました。
それがこの結果です。

私は主人を愛してますし、子供たちから父親を奪いたくはありません。
離婚も考えましたが、簡単にできるものでもない…
私もこの5かげつ、寂しくて泣いた日も何日もありました。我慢して我慢して、子供のためにも、
やっと愛する人がもどってきたのに、

主人は、私たちへの愛情がなくなってはないし、一番大事なものにかわりはないといいます。ただ、家族にも会えないし、どうしようもなかったと。

これからも、主人と離れることはなんどもあるし、そのたびにまたこんなことがあるかもしれません。
主人は、その彼女から、連絡きたら、仕事の相談ならのってあげたいともいいました。
私は、私をここまで苦しめた方の力になってあげたいのかと、疑問でなりません。
私は、いま一緒にいれる幸せを大事にしようと思ってますが、心の中は苦しく、どうしたらいいのかわかりません、
なにかアドバイスいただけないでしょうか


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

塩漬け

※この回答は質問者様の苦しみを軽減するため方便としてジョークを用いています。あらかじめご容赦ください。w(._. )w
ある浮気を乗り越えられた女性から面白いことを伺いました。
「どうして平気だったのですか?」
(イメージ:高畑淳子)
「マァねー(゚Д゚)最終的に私のところに帰ってくればいいのよー。アタシもバツついてるし。」
「どうして、そのような境涯になられたのでしょうか?」
悟りめいたお答えを頂きました。
「(゚Д゚)だってサァ、結婚する前なんて他の人ともカンケイ持ってた訳よ?なんで結婚したからって急にバージンぶってんのって感じじゃない?」
「(-。-;)はぁ」
「(゚Д゚)遊びグセが抜けない男っているのよネ。うちの場合は生活さえさせてもらえればそれで十分。子供の為にパパは要るしねぇ。まぁ、他のオンナとヤッたからって、チンチン取れちゃうわけでもないんだし。(以下略)」 完
( ˘ω˘)コホン… それでは、今日の名言、繰り返し…ます!
「チンチン取れちゃうわけでもないんだし」 ×3(エコー) 
凄いですね。
凄まじいですね。
私が女性だったとしても、この位になれたら人生失うものが無くてラクだと思います。
仏教では「自分のものはない」と説きます。
「人は何も所有することはできない」とジョン・レノンも福岡正信も言っています。
「地球のものは誰のものでもない」と妖怪ウォッチのエンディング曲でも歌われています。
おつらかったと思います。浮気はされる側は苦しいですよね。
まず、心のトゲを抜いて頂くために、あえて上記までのポイントを読みかえして笑って頂きたいと思います。
私も昔つき合っていた女性に浮気されました。今思い返すと、それはあくまで本人の我欲の問題。
その後もしばらく付き合い別れましたが、最終的に私は他者に対する所有しようとする意識が無くなって今も心が軽いです。
「この人は絶対に私だけのもの。」
それはひょっとすると、本当のところは自分だけのマイルール、マイストーリーなのかもしれません。
もし今度浮気したら、ちんちん切り取ってジップロックで当山宛てに送り付けてください。ご供養申し上げ、おフダを貼り付けて塩漬けにして返送させていただきます。くっつくといいですね。
まず、すこしでも笑って頂いて、お互いの再スタートのための冷静な距離が再構築されれば有り難いです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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