災害と死への恐怖と不安
不安で仕方がありません。
災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。
今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。
不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。
災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。
そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。
未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。
常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。
私は一体どうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しっかり備えて後は平常心。
5年前に起きた東日本大震災、そして今回の熊本地震を目の当たりにし、私自身も住んでいる区域に、ここ30年のうちに70%の確立で発生すると言われている東海地震、南海トラフ大地震の事にその都度、思いを巡らせてしまいます。
考えたところで、頭ではどうにもならない事だと理解していても、大地震を経験した事がないぶん様々な憶測をたてては「どうしよう」と気持ちばかりが焦り、先走ってしまう一方です。
これではどんどん負のスパイラルから逃れられなくなるだけですよね。
不安、恐怖は全て自分の心が造り出したものに他ならないのです。
それを禅の言葉でも「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」と言います。
つまり、自分で自分の首を締め付けて勝手に苦しみ、悩んでいるだけなのです。
人間死ね時は死ぬのです。
貴女も私も、そのきたる自然災害で命を落とすかもしれませんし、自然災害とは全く関係なく、日常生活の中において事故、病気等により突然命を失う事だって可能性として大いにありうるわけです。
考え、悩むだけ無駄だと思いませんか?
災害、事故を意識し「明日は我が身…」と思い、防災に対する気持ちを引き締めなおすという点ではとても良い事だと思います。
防災に対する備えも、これを機に自分の出来る範囲の事はしっかり行っておけば良いと思います。
しかし、常に災害や事故などに怯え、毎日が無気力、充実しているとは言えない生活を送っていらっしゃるのは、お経の一節にもあるように「光陰虚しくわたることなかれ」です。つまり、
矢の如く過ぎ去ってしまう時間、月日を無駄に過ごさず大切に使いなさいと言うことです。
不安や恐怖に心を費やし勿体無い時間を過ごす位なら今貴女に出来る事や貴女の周りに存在する「当たり前」の事に意識を向けるべきです。
お父様やお母様、知人友人、自分の命、日頃当たり前に出来ている物事、そうした「当たり前」の事に日々感謝の気持ちを持たれながら一つ一つを大切に、有り難さを感じつつ生活されてみて下さい。
又、仮に何時自分が死んでもいいようにやり残し、思い残し、悔いのない人生を送ってみて下さい。
そうすれば少しは死への怖れも軽減されるのではないでしょうか?
万全なんて出来ない。でも今出来ることはしておこう
熊本・大分を震源とする地震は周辺の地域でもかなりの揺れを観測し、住民の方々は不安な日々をお過ごしのことと存じます。大局的な見地から言えば、「地球の未来」「人類の未来」に対する危惧感と不安感も高まる一方です。そして、自然災害が起きる度に、我々人間の無力さを痛感しておられることと存じます。
でも、個人の力や取組で何とかできるレベルの話ではないことをあなたの中で抱え込んでも解決策は見いだせません。個人レベルでやれることを一つ一つ確認しながら取り組んでいきましょう。、当座は自分の足元を見つめていきましょう。「災害への備えを少しずつ進めている」そうですが、どの程度なさっているか点検してみましょう。「やっているつもり」と「やっている」では結構ズレがあります。とりあえず防災グッズの準備と非常時のための食糧と水の備蓄は急務かと思います。
東日本大震災の時に実感したこと。
1、停電した時の灯りの確保。お寺ですのでローソクには不自由しませんでした。
2、乾電池の備蓄。手回しで発電できるライトとラジオを常備する。
3、飲料水の備蓄。非常用の飲料水は安いけど、実用性に乏しい。むしろ日頃飲用するミネラルウオーターを一箱くらい余分に買っておく方が現実的だと思いました。私は健康に良いと思って10年以上前から「財宝温泉」の温泉水を定期購入してますが、震災の時に安心感がありました。
4、非常用の食糧というよりも、普段の食用として玄米を2~3袋在庫して置き、家庭用精米機で精米して炊いて食べる。震災時に精米できなくても、玄米粥として食べられる。
5、非常時の燃料と暖房用として、対流式ストーブは最低一台は所持し夏でも灯油はポリタンク2~3個の備蓄はしておく。
6、カセット式コンロは必需品。ボンベは常時3~4組置いておき、冬に鍋料理する都度補充しておきましょう。
7、家具の転倒対策。ホームセンターにいけば、グッズはあります。
この先の備えもありますが、まずは1~7に取り掛かり、その後は「防災」関係のサイトを検索してより高度な防災対策をしていきましょう。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候・・」
まこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
例え、災害など大変なことが起こっても、阪神淡路大震災、東日本大震災やこの度の熊本・大分地震でも、少なからず実感できますように、きっと誰かが助けてくれる、支えになってくれる、思いを寄せてくれる・・たとえ最悪、亡くなってしまったとしても、善き赴きへと向けて誰かが供養してくれる、供養してくれる人がいないと思われても、大丈夫、必ず拙生も含めて、多くの僧侶による普回向(「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」)によって、貴女にもその供養が及んでいくことになるでしょう。
上記のことをお考え頂きまして、少しなりにも安心に繋がりましたら幸いでございます。
この度の熊本・大分の震災によって被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられました皆様方のご冥福を心からご供養申し上げます。
この悲しみ、苦しみの現実に際して、被災地の皆様が一日でも早く安寧を取り戻せますように、一日でも早く復興致しますようにと、拙生自身、できることでのご支援に努めさせて頂きたいと存じております。
さて、江戸時代の禅僧である良寛禅師は、俳人仲間が被災された際のお見舞いの手紙の一節において、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ」と書かれております。
災難にあっても、それを災難だと思って、いつまでも嘆き悲しむ、もう実際に起こってしまった取り返しのつかないことをあれこれと思い悩むのではなくて、しっかりとまずは目の前の現実を受けとめて、冷静にその時にできることをできる限りに対処していくことが肝要となります。
いまだ起こってもいないことにあれこれと思い悩んでも詮無きこと、杞憂なることでしかありません。
とにかく目の前の現実の一つ一つと真摯に向き合って、なすべきこと、なさなければならないことをしていかないといけないという次第でもございます。このこともご理解を頂けましたら、一つの安心に繋がるのではないだろうかと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お忙しいなか、ご返答ありがとうございました。今の私の不安が自分だけのものではないのだとわかり少し和らぎました。
まだまだ不安も恐怖も尽きることなく溢れ、今も恐ろしい気持ちで一杯ですが、一つでもできることをして過ごそうと思います